西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2018年3月    善福寺川緑地 

 

30 )  晴れ

 

    毎年3月の例会は桜の名所を訪ねてきたが、いつも開花から間がなく、花の見頃にはやや早いということが多かったので、今年は思い切って遅くして3月30日に例会を設定した。ところがなんと今年は東京の開花宣言が17日に出て、25日には満開になるという予想外の早さで、すっかり当てが外れた。全く自然は意地悪である。それでも花は散り始めていたが、まだまだ十分に花見を楽しむことができた。

 

    荻窪駅南口を13時にスタート。仲通り商店街に入ってすぐ左折し、3分ほど歩くと古い長屋門がある。この長屋門に隣接するお茶屋は下荻窪村の庄屋・中田家のもので、明治16年に飯能で行われた近衛師団の統監と小金井での観桜会の折に明治天皇が小休所として利用した。現在は長屋門の横に「明治天皇荻窪小休所」を書かれた堂々とした石柱が立っている。隣のお茶屋は見ることが出来なかった。

 

    そこから更に3分ほど行った右手角に「西郊ロッヂング」と書かれた古い建物がある。昭和初期に、全室洋室の賄い付きの高級下宿として創業し、現在では「旅館西郊」として営業している。宿泊料金は6000円〜8500円と格安なので受験生などに利用されているようである。

 

   明治天皇荻窪小休所跡

      西郊ロッヂング

     大田黒公園正門

   銀杏並木が80m続く

         庭園

    大田黒氏の記念館

 

    西郊ロッヂングの角を右折して200mほど行くと大田黒公園である。NHKの「話の泉」のレギュラーメンバーとしても知られた音楽評論家の大田黒元雄氏の邸宅を整備して1981年に公園として開園したものである。正門から樹齢100年を超えるという銀杏並木を進んで行くと、約8900uもあるという回遊式庭園である。紅葉をはじめとした巨木が生い茂り、渓流や鯉が悠然と泳ぐ池がある。庭園の一画にあるレンガ色の洋館が大田黒氏の書斎で、現在は記念館として公開されている。ドイツ製のスタインウェイのピアノや大きな蓄音機、テーブルや椅子など大田黒氏愛用の品々がそのまま残っている。

 

    大田黒公園から閑静な住宅街を400mほど行くと、近衛文麿元総理大臣が昭和12年から自決する昭和20年までを過ごした「荻外荘(てきがいそう)」がある。昭和15年の第2次近衛内閣成立直前には大臣就任予定者を集めて基本方針を話し合い、日独伊三国同盟の方針を決めた「荻窪会談」、昭和16年10月には太平洋戦争回避のために「荻外荘会談」が行われたが、東条英機陸軍大臣の拒否にあって総辞職に追い込まれている。建物の内部は非公開で、建物の前が公園になっているが、ここも工事中で入れなかった。

 

    荻外荘から300mほどのところに俳人であり、角川書店の創設者でもある角川源義氏の旧邸宅であった角川庭園がある。南斜面の眺望のよい場所に建てられた近代数寄屋造りの家からは畑や善福寺川が眺められ、富士山もよく見えたという。庭には多くの草花と400本の樹木が植えられているという。早くも石楠花が咲いているし、ミツバツツジ、木瓜の花が満開、アカメモチ(カナメモチ)の垣根が真っ赤であった。

 

    角川庭園から300mほどで善福寺川に出た。荻窪駅からここに来るまでも桜の花は沢山咲いていたが、ここからが本日の主たる目的のお花見である。大きく蛇行しながらゆっくりと流れる川の両岸の満開の桜を愛でながら、うららかな春の日差しを浴びながら歩いた。沿道の公園や民家の庭にはチューリップ、ミモザ、モモ、サクラソウ、ヤマブキ、レンギョウなどが咲き乱れていた。

 

    善福寺川左岸の桜

     青空に映える桜

    善福寺川右岸の桜

 

    予定では和田堀公園、大宮八幡宮まで行って、永福町から電車で帰ることになっていたが、途中の善福寺川緑地センター広場から浜田山駅に行き、井の頭公園駅で下車して、井の頭公園の桜を楽しみながら吉祥寺駅まで歩いた。井の頭公園は花見客で大賑わいであった。

 

     井の頭公園の桜  花見客で賑わう井の頭公園

参加者  金児利行、小島恕雄夫妻、原田一彦、松尾良久、水野聰夫妻、

安村長生、中村仁美  以上9名

 

写真と文 小島恕雄