西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2016年12月    目白台 

 

120 )  晴れ

 

    朝のうちは曇っていたが、次第に晴れ間が広がって、風もなく穏やかな冬の日であった。

 

    西武池袋線・保谷駅を11時13分に出発し、地下鉄有楽町線直通で護国寺駅には11時41分に着いた。A1出口を出ると目の前が護国寺である。

 

    護国寺は徳川五代将軍・綱吉が母・桂昌院のために建立した真言宗豊山派の総本山である。阿吽の金剛力士像が見守る山門を抜けて境内に入り、石段を登ると不老門がある。小さな門である。不老門を潜ると正面に大きな本堂(観音堂)が現れる。どっしりとした威厳のある建物である。

本堂のすぐ右手に大隈重信候の墓所がある。早稲田大学が建てた石の鳥居を潜って墓所に入ると正面に「従一位大勲位侯爵大隈重信墓」と書かれた高さ5mほどの墓石が立っている。皆でお参りをし、記念写真を撮った。近くには長女の大隈熊子などのお墓もある。

護国寺には有名人のお墓が多い。三条実美、大倉喜八郎、山縣有朋のお墓もお参りをした。

 

     護国寺の山門       護国寺本堂    大隈候のお墓の前で

 

    護国寺を出て音羽通りを南に向かって歩く。途中で大福を買ったりしながらのんびり歩くこと20分ほどで鳩山会館に着いた。音羽通りに面した門を入り、急な坂道を登ってゆくと2階建ての洋館が見えてきた。ここは鳩山和夫、一郎、威一郎、由紀夫・邦夫の鳩山4代が暮らした家で、今は一般に公開されている。

 

      鳩山邸全景        応接室 鳩山一郎像

玄関を入ったすぐ右手が応接室で、鳩山一郎が多くの政治家たちと重要な会談を行った場所である。河野一郎、緒方竹虎、三木武吉など、戦後の歴史を動かした人たちと一緒に写った写真が飾ってある。サンルームから芝生の庭に出ると和夫夫妻の銅像と一郎の銅像が立っている。薔薇の花が庭を取り囲んで咲いていた。

 

    鳩山会館を出て音羽通りを横断し、高速道路の下を抜けて坂道を上ると賑やかな声が聞こえてきた。独協中学・高校のグランドから聞こえてくる声であった。

目白通りに出ると独協中学・高校の隣が東京カテドラル聖マリア大聖堂である。丹下健三の設計によるこの教会は実にユニークな形をしていて、銀色に輝いている。聖堂の中に入り、礼拝堂の椅子に座って上を見上げていると、パイプオルガンの荘厳な音が鳴り渡った。我々のために弾いてくれたようなタイミングであった。曲は「きよしこの夜」で、ちょっと早いクリスマス・イヴとなった。

 

 東京カテドラル聖マリア大聖堂

 

    聖マリア大聖堂の向かいがホテル椿山荘、そしてそれを目白方面に100mほど行くと野間記念館がある。その先で目白通りと別れて左折すると右手は旧細川藩の下屋敷跡で、今は和敬塾、永青文庫、新江戸川公園となっている。永青文庫を過ぎると神田川に向かって急勾配の坂になっている。胸突坂である。石段になっていて、中央には手すりも設置されている。坂を3分の2ほど登ったところに半畳ほどのスペースがあり、石造りの椅子がある。二人のお年寄りがそこに座って一息入れているところであった。

 

        胸突坂        芭蕉庵       芭蕉句碑

 

    胸突坂の途中に芭蕉庵がある。松尾芭蕉は3年ほど神田上水の改修工事に携わり、この地の水番屋に住んでいた。芭蕉庵は小さな庵で、庭には小さな池があり、その畔に「古池や 蛙とびこむ 水の音」の句碑が立っている。

神田川に沿って歩けば早稲田大学はすぐそこである。大隈講堂も大隈候の銅像も昔のままであるが、校舎はすっかり変わっている。午後3時前であったが、年末のせいかキャンパスには人が少なく静かであった。

    早大正門近くの「高田牧舎」で忘年会を行った。2月に大病をしてしばらく休会していた安井氏も久々に元気な姿を見せ、庭木の剪定中に怪我をした水野氏も2か月ぶりに復帰して賑やかな忘年会となった。

忘年会の後は田無駅前のカラオケに9人がなだれ込み、延々3時間に及ぶ2次会となった。

皆さん年齢を感じさせない元気さで、来年もまた元気に楽しく散策の会を続けようと誓って散会した。

 

 

俳句クラブのメンバーから俳句を頂きました

 

寒鴉古刹の枝を揺らしをり     志賀 勉

 

    鐘塔の影おおいなる聖夜かな

 

    ハンドベル振りてはじまる聖夜劇  松尾良久

 

参加者  金子正男、梶原松子、小島恕雄、幸子、志賀勉、滑志田隆、野本瑩一、原田一彦、

比留間治男、松尾良久、水野聡、安井義彰夫妻、臼井静江、中村仁美  以上15名

写真と文 小島