西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2017年1月    馬込文士村 

 

131 )  快晴

 

    前日は気温が20℃まで上がり、4月中旬の暖かさであったが、夜半から気温が急激に下がり、当日は最高気温も10℃までしか上がらず、北風も冷たかった。しかし空は一点の雲もない快晴であった。

 

    参加者は初参加の斉藤皓一さんを含め16名である。ラッシュアワーが一段落した午前10時過ぎに高田馬場駅を出発し、10時45分頃大森駅で下車した。

 

    大森駅西口を出て横断歩道を渡ると天祖神社がある。社殿は急勾配の石段の上にあるが、その石垣の正面には馬込文士村の住人43人の顔がレリーフとなっている。また左手の坂道には文士村の村民たちが麻雀をしたり、ダンスをしている様子がレリーフになっている。文士たちの交流はとても密で、酒、ダンス、麻雀、文学談義などを共にしたようである。

 

     文士村の住人達    麻雀を楽しむ住人達   ダンスに興じる住人達

 

    大森駅前の池上通りを北へ300mほど行くとNTTデータのビルがあるが、その手前のビルとビルの間の狭い道を入ると線路際に大森貝塚の碑が立っている。ここは明治10年にアメリカ人のモース博士が横浜から新橋へ向かう車窓から発見した貝塚で、その後の日本の考古学の発展に大きく貢献した。

    NTTデータビルからさらに300mほど行くと品川区立の大森貝塚遺跡庭園がある。こちらは広い公園で、大森貝塚の碑の他に、貝塚が発見された地層の模型やモース博士の胸像などが設置されている。

 

大田区の貝     品川区の貝塚碑 モース博士像

    大森駅方面に少し戻り、右折してジャーマン通りに入る。山王2丁目のバス停の先を右に入り、緩やかな坂を登ってゆくと尾崎士郎記念館がある。尾崎士郎は大正12年の関東大震災の直前に馬込に移り住み、作家生活のほとんどを大田区内で過ごしたが、昭和29年に記念館のあるこの地に初めて自分の家を持った。客間と復元された書斎(本来の書斎は生まれ故郷の愛知県吉良町に移築され、公開されている)と書庫がある。建物の中には入れないが、外から中の様子を見ることができる。今は目の前に高いビルが建っているが、南斜面の見晴らしのよい場所であったと思われる。

 

    散策のみち解説板     尾崎士郎の表札

 

    16名が同時に食事をするレストランがあるかどうか心配したが、予めネットで調べておいた中華料理店「京華飯店」は幸いにも全員揃って食事をすることができた。しかし突然大人数で入ったため調理に時間がかかり、全員の食事が終わるのに1時間以上かかった。

 

    食事の後は環七通りを越えて馬込地区に入った。「馬込文士村お散歩マップ」という地図を頼りに歩いたが、方向や距離が必ずしも正確ではないので、おおよその見当で歩いてゆくと予想外の所にでるということがしばしばあった。まず馬込東中の先に今井達夫と三好達治の解説板を見つけた。解説板の背後はごみ置き場になっていた。次に広津和郎の解説板があった。そこから萬福寺の甍が見えたので萬福寺を目指したが、道を曲がり損ねて、お寺の裏にある駐車場から入り、墓地を抜けてようやく本堂にたどり着いた。

 

    慈眼山萬福禅寺は曹洞宗の寺で、鎌倉時代の初期、建久年間(1190年頃)に源頼朝の腹心であった梶原平三景時によって開基されたという。境内には梶原景時の菩提塔がある。また源平合戦の宇治川の戦いで、景時の子・景季が佐々木高綱と先陣争いをしたときに乗っていた名馬・磨墨の銅像も経っている。そして萬福寺の西隣に住んでいたという室生犀星の解説板も境内に立っている。

 

    梶原景時の菩提塔       萬福寺本堂       磨墨の銅像

 

 

    萬福寺の表参道から出て、そのまま真っすぐ南へ行くと尾崎士郎と宇野千代の解説板が並んで立っていた。宇野千代は初めて稼いだ原稿料で、大根畑の中の農家の藁葺き屋根の納屋を改造して家を建てた。費用は130円であったとか。尾崎・宇野の家からそう遠くない臼田坂の途中に川端康成と石坂洋次郎の解説板が並んで立っていた。川端康成は無口で人付き合いも良くなかったが。尾崎士郎たちが度々訪ねてきたという。石坂洋次郎は学生時代に臼田坂の登り口にあったアパートに住んでいたという。

 

    臼田坂下で右折し、狭い路地を100mほど行くと日本画家の巨匠・川端龍子の旧宅があり、その向かいには龍子の作品を展示する龍子記念館がある。火曜日なので開館している筈であったが、展示物を交換する作業をするための臨時休館中で、旧宅、庭、アトリエ、記念館とも見学することができないのは残念であった。

 

    龍子記念館から馬込桜並木通りを800mほど行くと熊谷恒子記念館がある。熊谷恒子は現代女流書家の第一人者で、美智子皇后が皇太子妃となったときに進講者の一人である。かなの美展「春を詠む」というテーマの展示が開催中で、春の情趣に富む和歌や俳句を題材とした作品が展示されていた。その繊細なかな文字の美しさに、一同ため息をつくばかりであった。

熊谷恒子記念館から10分ほどの地下鉄西馬込駅から帰途についいた。

 

    三好達治     室生犀星     宇野千代
    尾崎士郎     川端康成     川端龍子

 

俳句クラブのメンバーから俳句を頂きました

坂多き文士の村に梅薫る    松尾良久

 

        春寒し坂また坂の文士村    志賀 勉

 

参加者  金児利行、金子正男、梶原松子、小島恕雄夫妻、斉藤皓一、志賀勉、滑志田隆、原田一彦、

比留間治男夫妻、松尾良久、水野聡夫妻、臼井静江、中村仁美  以上16名

写真と文 小島