西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2017年2月    世田谷 

 

28 )  快晴

 

    今回は午後1時に井之頭線吉祥寺駅に集合、早春の午後の日差しを浴びながらの散策である。参加者は11名。

 

    東松原駅前の狭い商店街を通り、5分ほどで羽根木公園に着いた。公園の北側の入口から入ると小さな広場に十数本の梅の木があり、紅白の梅がちょうど見頃であった。更に道路を渡って本園に入ると野球場やテニスコートがあり、子供用の遊具などが設置してある。平日の昼下がりなので、幼い子供を連れた若いママたちが数人いる程度で、公園は広々としていた。

 

    野球場の南側の広場に「せたがや梅まつり」の実行委員会が設けた模擬店があり、飲食物やお土産品を売っていた。その広場から小田急線梅ヶ丘駅に向かって南向きの斜面になっていて梅林となっている。今年は暖冬だったせいか、梅の見ごろは既に過ぎてしまった感じがした。

 

    羽根木公園にて    青空に映える紅梅   梅まつりの模擬店

 

    梅ヶ丘駅から一駅電車に乗って豪徳寺で下車した。豪徳寺駅前も昔ながらの古い商店街、車がやっと通れるくらいの狭い道で、しかも交通量もかなりある。300mほど歩くと商店街を抜け、東急世田谷線の線路に沿って歩くようになる。踏切を渡り、更に線路沿いに300mほど行くと世田谷八幡宮である。世田谷八幡宮の北隣に世田谷小学校があるが、70数年前に紅顔の金子正男少年が通ったそうである。

 

    世田谷八幡宮は、寛治5年(1091)源義家が後三年の役の帰途、この地で豪雨に会い天候の回復を待つため滞在することになり、戦勝のお礼として宇佐八幡宮の分霊を招請したのが始まりで、後に世田谷城主7代目の吉良頼康が天文15年(1546)に社殿を再建した。非常に広い境内を持ち、社殿も大変立派である。また境内には相撲場があって、稲作の豊凶を占う奉納相撲が行われていたという。現在では秋の例大祭の時には東京農大相撲部による奉納相撲が行われている。

  鳥居の右手には厳島神社もある。

 

 

   世田谷八幡宮大鳥居    世田谷八幡宮社殿 相撲場

 

    世田谷八幡宮のすぐ近くに宮の坂駅があるが、駅に隣接して宮坂区民センターがあり、そこに古い玉電(玉川電車)の車両が展示してある。この玉電に乗ったことのある人が何人かいて大いに昔を懐かしんでいた。

     古い玉電の車両       玉電の車内

 

    宮の坂駅から5分ほど歩いて大谿山豪徳寺に着いた。豪徳寺は15世紀中頃に世田谷城主・吉良政忠が結んだ「弘徳院」という庵が始まりで、当初は臨済宗に属していたが、後に曹洞宗に転じたという。彦根藩の2代目当主・井伊直孝が荒れ寺となっていた弘徳院の前を通りかかったとき、なぜか門前で猫が手招きをした。不思議に思って門内に入った途端に雷鳴が轟き、直孝が元いた場所に落雷した。命拾いをした直孝はこの寺を井伊家の菩提寺として、名も豪徳寺と改めて栄えたという。

山門を入ると正面に延宝年間(1677)に建立された仏殿があり、その手前左手に三重塔、右手に鐘楼がある。仏殿の背後にはコンクリート造りの本殿が建っている。いずれも大変立派な建造物で、この寺が裕福であることを伺わせる。

仏殿の左手には招福殿があり、そこには大小の招き猫が奉納されている。「招き猫」発祥の地である。

招福殿の先には井伊家の墓所があり、2代藩主・直孝はじめ歴代の藩主や奥方たちのお墓がある。一番奥にあるのが、桜田門外の変で横死した井伊直弼のお墓で、東京都の史跡に指定されている。

 

      豪徳寺仏殿       井伊直弼の墓     奉納された招き猫

    豪徳寺を後にして左へ行くと直ぐ世田谷城阯公園がある。室町時代にこの地を治めていた吉良氏の館があった所で、今は僅かな土塁と空堀が残っているだけだが、往時は豪徳寺を含む広い館であったという。吉良氏は北条氏と姻戚関係を結んだが、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたときに運命を共にした。

  世田谷城阯公園の向かいに小さな喫茶店があったので、コーヒーを飲みながら30分ほど休憩した。

 

    喫茶店を出て少し行くと烏山川緑道がある。広い遊歩道の両側には様々な植物が植えられているが、枝全体に花を付けていた梅の大木は見事であった。驚いたことに桜やイチハツの花がもう咲いていた。

 

       河津桜       イチハツ

 

    左に国士舘大学、右手に世田谷区役所を見ながら進み、若林公園を過ぎると松陰神社がある。安政の大獄で処刑された吉田松陰は千住の回向院に埋葬されていたが、門弟の高杉晋作や伊藤博文らが毛利家抱屋敷のあったこの地に改葬した。境内には松下村塾も復元されている。

安政の大獄に関わった井伊直弼と吉田松陰のお墓がこんなに近いというのも歴史の皮肉のように思われる。

 

       松陰神社

    松下村塾(復元)

     吉田松陰銅像

 

    松陰神社前から世田谷線で下高井へ行き、京王線と井之頭線を乗り継いで吉祥寺駅で解散した。

 

 

参加者  金児利行、金子正男、梶原松子、小島恕雄夫妻、野本瑩一、原田一彦、

水野聡夫妻、臼井静江、中村仁美  以上11名

写真と文 小島