西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2017年5月    日本橋から白山へ 

 

23 )  晴れ

 

    2日前の日曜日は全国的に30℃を越える暑い日で、館林では35℃以上の酷暑日となった。この日も暑さは峠を越したとはいえ、相変わらず夏のような太陽がじりじりと照りつける暑い日である。しかし時折涼しい風が吹くので助かった。

東海道と日光道に続いて、中山道を歩く旅の始まりである。従って日本橋も3度目となる。

 

    既にお馴染みの日本橋由来の碑、日本国道元標を見ながら北へ向かう。日本橋三越、三井住友銀行など日本を代表する会社のビルが立ち並ぶ中央通りは歩道も広く、電柱もないので歩きやすい。千疋屋前の室町三丁目南交差点で日光道は右折する。中山道はそのまま直進してやがて神田駅を過ぎ神田鍛冶町に入る。この辺は安井氏の生まれ育った所だそうである。

 

       日本橋     日本橋由来の碑      日本国道元標

 

    中山道は須田町の交差点で右斜めに進み万世橋を渡るのであるが、我々は直進して「マーチエキュート神田万世橋」を外側から見学しながら歩いた。「マーチエキュート神田万世橋」は中央線の神田・お茶の水間の赤レンガ造りの高架橋を活かして作られた新しい商業施設で、昔の万世橋駅の階段やプラットホームなどの遺構が蘇った空間の中に、お洒落なファッションの店やカフェやレストランなどが入っている。

 

鍛冶町3丁目の案内板  マーチエキュート神田万世橋 昌平橋から神田川・万世橋

 

    昌平橋から5分ほど歩くと湯島聖堂に着いた。仰高門を潜り、都心とは思えないほどの暗い樹々の中の径を進むと右手に孔子の銅像が立っている。左手の階段を登り、入徳門を潜り、更に杏壇門を潜ると大成殿がある。大成殿は孔子廟の正殿で、孔子、孟子、顔子、曽子、子思を祀っているが、土日と祭日だけ公開しているということで、建物の外観を見るだけであった。大成殿の屋根には魔除けの鬼\頭(きぎんとう…しゃちほこの一種で、普通のしゃちほこは虎頭魚尾だが、ここのは龍頭魚尾で頭から水を噴き上げている)が置かれている。関東大震災により入徳門と水屋以外の建物が焼失し、大成殿は昭和10年に鉄筋コンクリート造で再建された。

 

       孔子の銅像        入徳門        大成殿

 

    中山道を挟んで湯島聖堂の向かいに神田明神がある。天平時代に創建された古い神社で、大黒様、恵比寿様と平将門を祀っている。江戸の総鎮守府として栄え、神田祭でも有名なので、この日も外国人を含む多くの参詣客で賑わっていた。随身門も社殿も絢爛豪華な朱塗りの建物である。

社殿の裏に回ると末廣稲荷神社や金刀比羅神社もあるが、末廣稲荷神社が昭和42年に再建された時には安井氏のお祖母さまも一役買われたそうである。銭形平次親分は神田明神下に住んでいたことになっているので、昭和45年に作家や出版社の有志が銭形平次の碑を建立した。

神田明神前の名物甘酒屋で冷たい甘酒を頂いた。暑くて喉が渇いていたので格別に旨かった。

 

     神田明神社殿 銭形平次の碑 甘酒屋

 

    神田明神を後に中山道を西北に進み、やがてゆるくカーブして北へ進むと春日通りとの交差点・本郷三丁目に着く。交差点の角に「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われた「かねやす」があるが、この日はシャッターが下りていて休業であった。

本郷三丁目を過ぎれば東京大学はすぐである。赤門のところで緒方夫妻と合流した。お二人は美術愛好会の行事で国立博物館で開催されている「茶の湯特別展」を見学したあとに散策の会の行事に参加されたものである。

 

    赤門から東大の構内を歩いて、工学部前の門から中山道へ戻った。農学部の門前が本郷追分で、直進すれば駒込・王子方面へ向かう本郷通りで、徳川の歴代将軍が日光へ参詣するために通った昔の日光御成街道である。中山道は斜め左へ進んで巣鴨・板橋方面に向かう。追分には日本橋から一里目の最初の一里塚がある。

我々は本郷通りを進み、農学部の先を右折して根津神社へ向かった。西教寺、願行寺という小さな寺の前を通り、聖テモテ教会の前を右折すると急な坂道となり、坂を降りきったところが根津神社であった。

 

    根津神社は今から1900年ほど前に日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられる古い神社で、徳川綱吉が現在の社殿を奉建して現在地に遷座したという。本殿、幣殿、拝殿、唐門、西門、透塀、楼門が創建当時のまま現存していて、国の重要文化財に指定されている。

鳥居を潜り、表参道を進むと左手がつつじ苑で、花の季節は大勢の参拝者で賑わうが、花の季節が終わり境内はひっそりとしていた。午後4時を過ぎて陽が西に傾いてきたので、炎暑も過ぎ去り、木蔭には涼風が吹き気持ちがよい。楼門横のベンチに座り、しばし休憩した。

 

     根津神社鳥居         本殿         透塀

 

    根津神社の北参道から権現裏門坂に出て左へ行き、向ヶ丘一丁目で本郷通りへ戻った。向丘高校の先の細い路地を入ってゆくと大圓寺がある。細長い墓地の一番奥に高嶋秋帆の墓がある。高嶋秋帆は幕末の砲術家で、高嶋流砲術の創始者である。徳丸ヶ原(現在の高島平)で日本初の洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行ったことで知られている。また大圓寺には八百屋お七の罪業を救うために熱した焙烙を頭に被り、自ら焦熱の苦しみを受けている「ほうろく地蔵」がある。

 

    大園寺から旧中山道を越えて5分ほどのところに園乗寺がある。八百屋の娘お七は天和の大火で家が焼けてしまったので菩提寺の園乗寺に避難した。そこで寺の小姓・吉三郎と恋仲になり、再建された家に戻った後も吉三郎に会いたくて、家が燃えればまた吉三郎に会えると思って放火してしまった。お七は火あぶりの刑に処され、園乗寺に埋葬された。

 

   大園寺・ほうろく地蔵    大園寺・高嶋秋帆の墓    園乗寺・お七の墓

 

 

 

    白山駅から都営三田線で巣鴨駅に来て、駅前の居酒屋へ15人で繰り込んだ。大いに飲み、食い、談笑して2時間があっという間に過ぎてしまった。7時半ころ店を出て解散し、それぞれの家路についた。

 

いつも俳句を投稿していただいている常連の俳人(廃人ではありません)が今回は不参加でした。

 

参加者  緒方章夫妻、金児利行、梶原松子、小島恕雄夫妻、野本瑩一、原田一彦、水野聰夫妻、

安井義彰夫妻、臼井静江、中村仁美、松谷富彦  以上15名        

 

写真と文 小島恕雄