西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2017年9月    椎名町から東長崎へ 

 

26 )  晴れ

 

    彼岸は過ぎたけれども残暑の厳しい日であった。それでも2か月ぶりの散策に集まったのは14名。中には久しぶりに参加した石井氏の顔もあった。

 

    椎名町駅の北口を出るとすぐ目の前に金剛院、長崎不動尊、長崎神社が並んでいる。金剛院は真言宗豊山派の寺で、1522年(大永2年)に聖弁和尚によって創建され、火災で焼失したあと、1715年(正徳5年)に再建され、15世・聖誉和尚の努力によって本堂、大師堂、山門、鐘楼堂など、現在の堂宇が整備された。天明年中(1780年代)に度々発生した大火の折、19世・宥憲和尚が先頭に立って多くの罹災者を収容して助けた。その功績に対し、将軍・家治より山門を朱塗りにすることを許された。

その赤門を入ると左手に弘法大師像と大師堂が、正面には立派な本堂がある。境内には「赤門テラスなゆた」というカフェもあるが、定休日であった。

 

   金剛院 朱塗りの山門 金剛院・本堂 弘法大師像

 

    長崎不動尊には不動明王が祀られている。地域住民に信仰され続け、1948年(昭和24年)に門前に建てられた。金剛院に隣接して長崎神社がある。金剛院が火災で焼失する前は別の場所にあったが、長崎神社の隣に再建されて以来、明治維新で神仏分離が行われるまで金剛院が長崎神社の別当寺を務めた。

 

     長崎不動尊     長崎神社の鳥居     長崎神社の本殿

 

    長崎神社の裏門を出て20mほど行った丁字路の角には、1948年(昭和23年)に起きた帝銀事件の現場、帝国銀行椎名町支店があったという。その後三井銀行、さくら銀行の椎名町支店となったが、今はマンションに変っていて事件当時のことを想像させるものは何もない。

 

    帝銀椎名町支店跡の角を左折して30mほど行くと「宮元荘」というアパートがあった。人の住んでいない荒れ果てたアパートだが、玄関のドアには「貸倉庫」「トランクルーム」などの張り紙があり、窓には「家庭教師」「○○教室」などの手書きのポスターが多数貼ってある。最近持ち主の分からない家や土地が社会問題となっているが、このアパートもその一つかもしれない。

 

帝銀椎名町支店跡

    荒れ果てた宮元荘

 

    駅前商店街・サンロードを進み、巣鴨信用金庫の角を左折してしばらく行くと左手に小さな公園があるが、そこに「長崎アトリエ村」についての説明板が立っている。それによると、昭和初期に池袋に近いこの地にアトリエ付き借家群である長崎アトリエ村が形成された。さくらが丘パルテノン、すずめが丘アトリエ村、つつじが丘アトリエ村が主なもので、説明板の立っているのはさくらが丘パルテノンのあったところであるという。アトリエ村の借家は北側が15畳ほどのアトリエで大きな窓や天窓があり、石炭ストーブやシャンデリアも付いていた。一方、居室部分は3畳か4畳半と狭く、玄関を兼ねた土間に流し台、便所があるだけだった。絵画や彫刻を学ぶ学生向きの質素な住宅であった。多くの芸術家がここから巣立っていった。

 

長崎アトリエ村の説明板

    熊谷守一美術館

 

    さくらが丘パルテノン跡から500mほど北へ行くと熊谷守一美術館がある。熊谷守一は1880年(明治13年)に今の岐阜県中津川市に生まれ、父は製糸工場を営み、初代岐阜市長を務めた人物であった。東京美術学校を卒業したあと様々な仕事をしたが、1915年(大正4年)に二科会会員となって制作活動を続け、1977年(昭和52年)に97歳で亡くなった。この美術館は二女の熊谷榧氏が設立して館長を務めている。熊谷守一の作品は油絵、日本画、ブロンズ像、書など実に多彩で、しかもすべて完成度が高い。またチェロも演奏したようである。

3階は貸ギャラリーになっていて、松永優氏の藍染色の作品展が行われていた。35万円もする金銀箔タペストリーから数千円のスカーフ、ハンカチ、700円のコースターまで、30点が展示されていた。安村氏はベストにかなりご執心のようであった。

 

    美術館から20分ほど歩いて南長崎花咲公園に着いた。そこには漫画ファンにとっての聖地とされるトキワ荘の記念碑がある。手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎などが住んだトキワ荘の復元模型や自筆のサインや自画像が書いてある銅板が貼ってある。トキワ荘はその公園から100m先の中華料理の前を左に入ったところにあった。今は会社のビルが建っていて、その一角に「トキワ荘跡地」のモニュメントがある。

 

トキワ荘の記念碑

  トキワ荘跡地のモニュメント

 

 

    東長崎駅に着いたのは4時半頃であった。散策後の飲み会が恒例になり、駅付近で14名が入れる適当な店を探したがどこも開店前であった。1軒だけ蕎麦屋が空いていたので入ったが、ビールは2本しかないという。暑い中を歩いて喉が渇いているのでビールがなくては話にならない。結局保谷まで戻って駅前の居酒屋に入り、7時頃まで賑やかに歓談して解散した。

 

俳句クラブの方から俳句を頂きました。

 

藍染展 金木犀に 誘はれて               松尾 良久

 

秋暑し アトリエ村の 迷ひ道          志賀 勉

 

秋の夕 漫画聖地に 碑が一つ              石井 主計

 

 

参加者  石井主計、梶原松子、金児利行、小島恕雄夫妻、志賀 勉、滑志田隆、浜昌太郎、原田一彦、松尾良久、水野聰夫妻、安村長生、臼井静江  以上14名

写真と文 小島恕雄