西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2017年12月    西武新宿 

 

1219 )  晴れ

 

    今年は冬の訪れが早く12月早々から寒い日が多かったが、この日は穏やかな小春日和で、コートが邪魔になるくらいであった。

 

    西武新宿駅の正面出口を出て高田馬場方面へ少し戻ると広い職安通りに出る。この通りには韓国系の飲食店や事務所が並んでいて、看板の半分近くはハングル文字で書かれている。かつて新大久保駅近くの大久保通りにあった韓国系の商店が新宿へ引っ越して来たようである。そういえば、大久保通りと職安通りとは300mも離れていない。

職安通りを東へ300mほど歩いて左折し、狭い路地を行くと右手角に小泉八雲記念公園がある。小泉八雲終焉の地に作られた記念公園で、八雲の出身地ギリシャをイメージして石柱や白を基調としたタイルで舗装されている。八雲の胸像はギリシャのレフカダ市から寄贈されたものだそうである。

公園を出て職安通りへ戻る途中の大久保小学校の垣根に沿って「小泉八雲終焉の地」の碑が立っている。

 

    職安通りを更に東に進んで明治通りとの交差点の角、都営大江戸線の東新宿駅の出口付近に島崎藤村旧居跡の石碑が立っている。歩道の片隅に膝の高さほどしかない小さな石碑なので、余程注意していないと見過ごしてしまいそうである。新宿七丁目の交差点を渡ると右手に新宿イーストサイドスクエアのモダンなビルが見えてくる。オフィス、ショップ、レストランなどが入る20階建の総合施設である。

 

新宿イーストサイドスクエア

    抜弁天厳島神社

 

    明治通りを越えると新宿の繁華街の喧騒はなくなり、通りの名前も職安通りから抜弁天通りに変わる。新宿七丁目交差点から500mほど行くと道は二つに分かれ、左へ行けば大久保通りと合流して神楽坂方面へ、右へ行けば靖国通りと合流して市ヶ谷方面へと向かう。その三差路の一角に抜弁天厳島神社がある。10坪ほどの三角形の敷地に小さな社と鳥居が立っている。源義家が祈願した厳島神社があったところで、境内を南北に通り抜けることができ、また苦難を切り抜ける弁天社ということで抜弁天と呼ばれるようになった。江戸六弁天、山の手七福神の一つにもなっている。我々が参拝していると外国人の男性も作法通りに参拝していった。

 

    道を右に取って市ヶ谷方面に向かう。町名は新宿区余丁町である。昔の町名が残っていて何となく懐かしさを感じながら歩いて行くと坪内逍遥旧居跡、永井荷風旧居跡がある。今は普通の民家が立っていて昔の面影は何も残っていない。

坪内逍遥は明治22年(1889)から熱海の双柿舎へ引っ越す大正9年(1920)まで約30年間を余丁町に居住し、早稲田大学に通って教鞭を取る傍ら、雑誌「早稲田文学」の発行、シェークスピア作品の翻訳・研究、演劇の研究を行った。明治42年には敷地内に文芸協会演劇研究所を設けて演劇の研究・実践が行われたという。

永井荷風は明治41年(1908)から大正7年(1918)まで住んでいたというから坪内逍遥とはお隣さん同士であった。荷風は腸を病みがちだったので、この家の離れを「断腸亭」と名付け、その日記を「断腸亭日乗」とした。

 

    余丁町から市谷台町を抜けて靖国通りに出た。新宿方面に向かって少し行くと右手の崖の上に成女学園中学校・高等学校がある。その正門へ向かう入口の所に小泉八雲旧居跡の説明板がある。小泉八雲は明治23年(1890)に来日し松江中学で英語を教えたあと、明治29年(1896)に帝国大学に招かれてこの地に居を構え、明治35年(1902)に大久保村に転居するまでの6年間を過ごした。

 

    坪内逍遥旧居跡

   志賀直哉旧居跡

   小泉八雲旧居跡

   斎藤茂吉終焉の地

 

    富久町交差点から大木戸坂下へ抜け、外苑西通りを南へ行くと15分ほどで新宿通りに出る。四谷四丁目の交差点を渡った先に斎藤茂吉終焉の地がある。昭和25年(1950)年から71歳で亡くなるまでの2年間をこの場所で過ごした。長男の茂太(精神科医・随筆家)が開業するための医院兼住居として建てられ、次男の宗吉(小説家・北杜夫)も一緒に暮らしていたという。

四谷四丁目の交差点を新宿方向に渡ると四谷大木戸跡の碑と水道碑記がある。甲州街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所が四谷大木戸で、また玉川上水の終点であり、水量や水質を検査した水番所のあったことを顕彰する碑が水道碑記である。

 

    大木戸門から新宿御苑に入った。適当な休憩場所がなかったため西武新宿を出てから休みなしで2時間、午後3時であった。玉藻池を眺めながらゆっくりと休憩を取った。ソフトクリームやジュースがおいしかった。年末の平日でもあり園内は閑散としていた。ほとんどの落葉樹は葉を落としていたが、名残の紅葉が夕陽を受けて赤く輝き、カンツバキや水仙が見頃であった。初冬の静かな御苑をのんびりと散歩したあと新宿門を出て忘年会場に向かった。

 

四谷大木戸跡、水道碑記

 散り残った新宿御苑の紅葉

 

 

    新宿門から10分ほどで忘年会場の「ぼんや」に着いた。この店は新潟地酒と酒肴の店である。新潟から直送の新鮮なお造り、舞茸の天婦羅、栃尾の油揚げ、焼き鳥などを肴に八海山の生しぼり原酒を頂き、へぎそばで〆て会費は3500円。今年1年の散策の思い出を語り合い、来年の健康と楽しい散策を祈って散会した。

 

 

俳句クラブの方から俳句を頂きました。

 

歩こう会 けふすこやかに 着ぶくれて    松尾 良久

 

御苑染め 散りつくしけり 大銀杏 

 

     石ころを 置きしごとくに 鴨浮寝

 

   鴨の陣 ゆるゆる巡る 池畔かな  志賀 勉

 

参加者  小島恕雄夫妻、志賀 勉、松尾良久、水野聰夫妻、安村長生、

臼井静江、中村仁美  以上9名

写真と文 小島恕雄