1月30日 (火) 晴れ
★ 1月22日は都心でも積雪が23pとなる大雪が降った。そのため散策は一週間延期して30日の実施となった。延期したために参加できなくなった人もいたが、逆に参加できるようになった人もいた。歩くところは除雪されていて問題はなかったが、道端や日陰には雪の山が残っていて、空気は冷たく肌を刺すようであった。
★ 本川越駅を出てすぐの交差点を東へ約15分ほど歩いて右折すると中院である。正式には天台宗別格本山中院といい、古くは星野山無量寿寺仏地院と呼ばれていた。江戸時代に天海僧正が喜多院へ来るまではこの地域の中心的な寺院であったという。境内には島崎藤村ゆかりの茶室・不染亭があり、藤村の義母加藤みきの墓がある藤村に縁の深い寺である。よく手入れされた庭があるそうだが、この日は雪に覆われて、訪れるもなくひっそりとしていた。
★ 中院から5分ほど北へ行くと仙波東照宮がある。元和2年(1616)、徳川家康の遺骸を静岡の久能山東照宮から日光東照宮へ移送する途中、天海僧正によって喜多院で法要が行われたことから、寛永15年(1638)に建立された。本殿、唐門、瑞垣、拝殿、幣殿、随身門、石鳥居は重要文化財に指定されているが、拝殿を拝観できるのは土日祝日だけで、我々は拝殿の前までしか行けなかった。
★ 仙波東照宮に隣接して喜多院がある。慈覚大師円仁が天長7年(830)に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院という。天海僧正が住職を務めた寺として徳川将軍家と縁が深く、「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や「書院」と呼ばれる春日局化粧の間が江戸城から移築されたほか、多くの将軍家ゆかりの品々を所蔵している。 平日の午前だというのに参拝客が多いのに驚いた。節分が近いので境内には露店なども出ていてお祭りのような雰囲気である。
★ 境内の一画には日本三大羅漢に数えられる五百羅漢がある。人間の喜怒哀楽を表した表情豊かな石仏が540体も並んでいて、ひとつひとつ見て回るだけ面白いが、木の蔭で北風が吹き抜ける寒い場所にあるのでゆっくり見られないのが残念であった。
★ 喜多院から北へ20分ほど歩いて川越城本丸御殿に着いた。川越城は松平信綱の時代に拡張・整備され、本丸、二の丸、三の丸をはじめ3つの櫓と12の門から成り、総坪数4万6千坪にもなる壮大なものであったが、明治維新後の解体によって、現存しているのは本丸の玄関・大広間と移築・復元された家老詰所だけである。
★ 川越城本丸御殿の辺りでちょうど昼時になったので川越名物の鰻を食べようということになり、仲町交差点近くの「深井屋」という小さな鰻屋に入った。ほわほわに焼きあがった鰻は実にうまかった。ウナギの収穫量が減少しているため、ウナギは大変高価で滅多に口にすることが出来なくなってしまったので飛び切りの御馳走であった。
★ 鰻屋を出て、仲町から札ノ辻に向かって蔵通りを歩いた。時の鐘、埼玉りそな銀行の大正時代の洋風建築をはじめ古い蔵造りの商店が並ぶ川越観光の中心である。平日にもかかわらず多くの観光客でにぎわっているが、外国人観光客の多さには驚いた。安っぽいレンタル和服を着て歩いている中国人団体客が特に目についた。サツマイモを薄くスライスして油で揚げた菓子(ポテトチップスのようなもの)を食べながら歩いている人が多いので、我々も買って食べながら歩いた。甘くておいしいが、脂っぽくて2、3枚食べれば十分であった。
★ 菓子屋横丁をひと回りして仲町へ戻り、映画のセットのような古い商店が並ぶ大正浪漫夢通りを歩き、その一画にある「シマノコーヒー 大正館」という喫茶店で休息とおしゃべりをして本川越駅に戻ってきた。。
俳句クラブの方から俳句を頂きました。
ひたむきの 受験絵馬あり 梅早し 松尾 良久
遊ばしむ 瞳に遠く 梅探る
護摩焚の 太鼓響くや 春近し 志賀 勉
日陰なる 五百羅漢に 雪を掻く
参加者 金児利行、小島恕雄、志賀 勉、原田一彦、松尾良久、水野聰夫妻、安井義彰夫妻、 臼井静江、中村仁美 以上11名 写真と文 小島恕雄
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