西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2018年2月    池 上 

 

27 )  晴れ

 

    大雪や寒気の厳しかった今年の冬であったが、ようやく春らしい暖かな陽ざしが降り注ぐ午後であった。初参加の古賀会長をはじめ16名が参加して賑やかな散策の会となった。

 

    13時2分に高田馬場を出発、五反田で乗り換えて池上駅に着いたのは13時49分であった。改札を出るとすぐ『本門寺通り』という文字が目に飛び込んできた。立派な店構えの葛餅屋、煎餅屋、仏具屋などが並ぶ門前通りを10分ほど歩くと呑川にかかる霊山橋で、これを渡れば本門寺の境内である。江戸時代の元禄年間に建造されたという総門は改修工事中のためシートで覆われていた。

 

    総門を潜るとすぐ「此経難持坂(しきょうなんじさか)」という96段の石段である。加藤清正が寄進したというがっしりとした石段である。この石段は「男坂」と言われ、すぐ右手に蛇行して登る「女坂」がある。また総門右手の朗子会館にはエレベーターもあって、足の悪い人でも楽に登れるようになっている。男坂の中程には早咲きの桜が咲いていて、早くも見頃であった。エレベーターで昇った人はこの桜を見ることが出来なかった。

石段を登りきると右手に銀色の大きな日蓮上人像が立っている。仁王門を抜けると正面に堂々たる構えの大堂(祖師堂)が見えてくる。そして左手には鐘楼、霊宝殿、経蔵、右手奥には五重塔が建っている。本門寺は昭和20年の空襲により大きな被害を受け、江戸時代に創建されたのは総門、経蔵、五重塔で、他は戦後に再建されたものであるという。

 

此経難持坂       仁王門       日蓮上人像
         大堂        五重塔   本門寺から池上梅園へ

    大堂の裏から右手に本殿(釈迦殿)と日蓮上人御廟所、左手に多宝塔、池上廟、歴代聖人御廟所を見ながら坂を下り、左折すると直ぐ大田区立池上梅園である。

ここは戦前まで北半分は日本画家・伊東深水の自宅兼アトリエであったが、戦災で焼失した後築地の料亭経営者の小倉氏が南半分を拡張し、別邸として使用していた。小倉氏の死後に遺族から東京都に譲渡され、大田区が梅林として整備されたものである。

丘陵の斜面に植えられた白梅150本、紅梅220本が7分咲きで、まさに見頃であった。梅園の中に回廊が巡らされていて、上から見下ろす梅園の眺めも素晴らしかった。天気の良い時は見晴台から富士山も良く見えるという。

梅林の奥には藤山愛一郎元外務大臣所有の茶室・聴雨庵、伊東深水のアトリエを設計した数寄屋建築の設計家・川尻善治が所有した茶室・静月庵が移築され、和室と日本庭園などもある。聴雨庵では昭和19年に東条内閣打倒の密儀が岡田啓介、米内光政、末次信正などを集めて行われたという。

聴雨庵、静月庵、和室はお茶会や句会などの集まりに貸し出しているそうである。

 

      梅園正門から

    回廊への階段から

        回廊で

        座論梅

       しだれ梅

       聴雨庵

 

              

    池上梅園から第二京浜国道を10分ほど歩くと都営浅草線・西馬込駅、五反田駅で解散した。

恒例となった反省会を五反田駅付近で行おうということになったが、時間が早くてまだ店が開いていないため田無まで戻ってきた。

 

 

俳句クラブの方から俳句を頂きました。

 

梅東風や 紫幕はためく 本門寺            志賀 勉

 

八重紅梅 思いのままに 本門寺   流牧

 

 

            

                              池上梅園にて

 

 

参加者  緒方章夫妻、梶原松子、金児利行、金子正男、古賀良郎、小島恕雄夫妻、志賀 勉、

滑志田隆、野本瑩一、水野聰夫妻、安村長生、臼井静江、中村仁美  以上16名

 

写真と文 小島恕雄