11月27日 (火) 晴れ
★ 朝8時過ぎに茨城県南部で発生した地震のため、乗車する予定の列車が15分ほど遅れた。 朝のうちは薄曇りであったが、鎌倉に着く頃は快晴となり、最高気温は18℃まで上がって、ダウンジャケットを着込んできた人には暑すぎるほどであった。
★ 鎌倉駅西口(賑やかでない方)を出て、まずお弁当などを調達、11時25分頃駅前を出発した。駅前から真っすぐに伸びる市役所通りを進み、トンネルを抜けた先の法務局の角を右折する。道はやや登り坂となり、静かな住宅街の中を行くと佐助稲荷への道標があり、そこを左折して登って行くと突き当りが佐助稲荷である。赤い鳥居が立ち並ぶ参道を登り、更に急な階段を登ると本殿がある。頼朝ゆかりの小さな神社である。
★ 道標の立っていた所まで戻り、もと来た道を更に行くと勾配が急になり、身体を前傾させないと足が前へ進まないくらいの坂となるが、それも僅かでやがて銭洗弁天に着いた。崖をくりぬいたトンネルを抜けた狭い空間に本殿と社務所がある。本殿の左手の岩壁の中の洞窟に湧水があり、この水で銭を洗うと10倍にも100倍にもなると言われ、小さな笊が置いてあるので参拝者は皆ここでお金を洗っている。
★ 銭洗弁天から少し登れば標高93mの源氏山である。上は広い平坦地になっていて源氏山公園や葛原岡神社などがある。右手へ行くと化粧坂からの道を合わせ、頼朝像の立っている広場に出る。周りは林になっていて眺望はない。今年は紅葉がやや遅れている上に、台風による塩害の影響もあるのか、紅葉の色に鮮やかさがない。東屋があり、ベンチやテーブルがあるのでここで弁当を開いた。
★ 食事の後葛原岡神社へ行った。鎌倉幕府打倒を目指した後醍醐天皇の側近・日野俊基が全国を巡って反幕府勢力の結集を目指していたが、幕府に捕らえられ、ここ葛原岡で処刑された。日野俊基を祀ったのが葛原岡神社で、鳥居の手前には俊基の墓もある。今は縁結びの神様とされ、きれいなピンク色のおみくじが人気である。
★ 源氏山に連なる尾根を長谷の大仏まで歩くのが大仏ハイキングコースである。このコースの入口付近の紅葉がきれいであった。細い山道に入るとすぐ左手に相模湾が見えたが、やがて周囲は鬱蒼とした林となり展望はきかなくなる。しかし車の走る音、救急車のサイレン、防災放送の音などが聞こえて、深山に来たという感じは全くない。かなり急な坂道で、木の根っこが張り出していたり、大きな石が転がっていたり、鎖場まであってかなり本格的な山道である。林の中では可愛いリスが遊んでいた。源氏山から大仏へ行く場合は殆どが下りであるが、逆コースは登りとなるので結構きついハイキングとなりそうである。展望はないし、歩くのに一生懸命だったので写真を撮る暇がなかった。約50分で大仏切通に着いた。
★ 山道から一般道に出ると5分ほどで長谷の大仏である。ここへ来ると修学旅行の生徒たち、外国人の観光客たちでごった返している。大仏を眺めながらハイキングコースの疲れを癒したあと光則寺に向かった。日蓮上人が佐渡に流されたとき、弟子の日朗上人も捕らえられて牢に入れられたが、監視役を務めたのが宿屋光則で、日蓮が放免された後、光則は日蓮と日朗に私淑し、自邸を寺としたのが光則寺である。鎌倉の人気観光地である長谷の大仏と長谷寺の間にありながら観光客が滅多に行かないひっそりとした寺である。山門の下に「山野草と茶花マップ」という手書きのパンフレットが置いてあり、境内に植えてある植物の名前がぎっしりと書いてある。ざっと見ただけで100種類くらいあるようだが『字が小さくよめな〜い!!』という感じである。
★ 光則寺と長谷寺は背中合わせである。長谷寺は坂東33観音霊場の4番札所であり、鎌倉でも最も古い名刹なので観光客も多い。山門横から入り、良く手入れされた庭園を過ぎて地蔵堂、稲荷社、鐘楼を見ながら石段を登って行くと本堂(観音堂)と阿弥陀堂がある。本尊は高さ三丈三寸(9.18m)の本邦最大級の十一面観音菩薩像で、大和・長谷寺の本尊と同じ楠から掘り出されたものであると伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀像は、今はない長谷誓願寺の本尊で、頼朝の厄災消除を祈願して造立されたものであるという。本堂の手前左に見晴台があり鎌倉の街並みや相模湾を一望することができる。 長谷寺は花の寺としても名高く四季折々に多くの花が咲くが、特に初夏の紫陽花と秋の紅葉が有名である。丁度もみじ祭りの最中で、夜間のライトアップが行われていたが、紅葉の見頃にはやや早いという感じであった。
★ 長谷寺から江ノ電の長谷駅までは5分ほど。予定では鎌倉駅に戻り湘南新宿ラインで帰る予定であったが、江ノ電の車窓から海を見ようということで藤沢行きに乗車した。稲村ケ崎から腰越の間は海岸線に沿って走る。午後4時20分頃、七里ヶ浜駅の辺りで夕日が江の島の左に沈んで行った。藤沢に着いたのは4時35分で日はとっぷりと暮れていた。藤沢から新宿までは小田急線で丁度1時間、午後6時前に新宿に帰って来た。
志賀さんがこの写真を見ていい句を詠んでくれました
松尾さんと志賀さんの俳句です。
苔庭の 起伏を染めて 散紅葉 松尾良久 切通し 化粧坂へと 紅葉散る
湘南の 海を斜めに 冬入り日 志賀 節 日溜まりの 庭に石蕗咲く 隠れ里 山茶花や もののふ駆けし 化粧坂
参加者 奥野和雄、金児利行、河合宏則、古賀良郎、小島恕雄夫妻、斉藤晧一、志賀勉、 辻直邦、松尾良久、水野聰、水野博司、安村長生 以上13名
写真と文 小島恕雄 |