西東京稲門会

美術愛好会

毎月1回、東京近辺の人気美術展巡りをしています。
毎回その美術展に関係したクイズもあり、勉強しながら美術を楽しんでいます。クイズの回答合わせや次回の展覧会の候補を決めながらのランチも楽しみです。美術展の内容は毎回稲門会のHPで紹介をしています。
美術に興味をお持ちの方は是非ご連絡ください。お待ちしております。

ご入会希望の方は会員専用HOMEの[同好会資料]参照でご連絡下さい

「印象派――室内をめぐる物語」オルセー特別展

12月2日 国立西洋美術館

12月2日(火)午後1時半集合。JR上野駅から歩く。公園の落ち葉が頬をかすめる。まさに師走。酒浸る枯葉一枚ヴェルレーヌ。「げに我はうらぶれて、ここかしこ、さだめなく飛び散らふ落ち葉かな」。流転詩人のシャンソンが頭をよぎる。

国立西洋美術館の特別展が招聘したフランス「オルセー美術館コレクション」は約100点の絵画、衣装、家具、ガラス作品を展示。日本人が好む印象派の特集である。ドガの「ベレッリ家・家族の肖像」は日本初公開。ルノワールの「ピアノを弾く少女たち」、バルトロメの「温室の中で」などが名高い。

「また印象派か」と言う人もいるかもしれぬが、今回の趣向は斬新だ。作家たちが皆、屋内にいるからだ。外光をどのように取り入れ、人物や静物の内部にある動きをどう描くか。その技巧の競演に焦点を当てたことが異色であり、かつ説得力がある。

印象派は1874年、パリ・キャプシーヌ通りで旗揚げした。流行詩人のヴェルレーヌがランボーと共に出奔し、真の人間性を求めて頽廃への道を歩み始めた頃である。画布を光で満たした新たな風景や人物観を提起する30人の画家たちが人々を熱狂させた。

その挑戦は1860年頃からすでに始まっていた。出品と落選、罵声と反論…その繰り返しが新たな芸術運動を生んだ。「室内をめぐる物語」ではマネ、モネ、ルノワールら主要作家の意図を点検し、いかにして個性に満ちた印象派絵画が成立するかを検証している。

第一に感じられるのは、彼らが色彩に溺れることなく、古典派絵画の構図を徹底的に学び、乗り越えるべき目標を明確に持っていたことだ。人物・家族の肖像・静物の中に外光を招き入れる工夫。それは次第に強まり、伝説ヴェールを剥ぎ取った生身の人間、裸の人間を描く。

私が特に見入ったのはマネ作「エミール・ゾラの肖像」(1868年)だ。美術雑誌を読むゾラ。その背景には、ジャポニズム・ブームを物語る歌川派の相撲力士の絵と狩野派の花鳥図が見える。そしてマネ自身が3年前に発表した「オランピア」(裸体で横たわる娼婦像)の複製画も。この裸体像がどれほど世間を騒がせたかは、美術史上の一大事件だった。

現実をそのまま画布へ。人間性を解放しようとする30代のマネの挑戦がここにある。それが後に「ルーゴン・マッカール叢書」で自然主義文芸のリーダーとなる28歳のゾラの肖像と共にあるから面白い。「オランピア」はその後、モネら貧乏画家らが資金を出し合って金満家から買い戻し、「永遠にフランスに」とルーブル美術館に寄贈した。いまはオルセーで所蔵とか。私はこの話が好きだ。

そんなことを喋りながら、枯葉舞う道を銀座に向かい、ワインで乾杯。美術展めぐりを楽しんだ2025年さらば。浜野さん、お世話になりました。参加者14人。

(報告者・滑志田隆)

フジタからはじまる 猫の絵画史 藤田嗣治と洋画家たちの猫

10月13日 府中市美術館

藤田嗣治はパリで画家としてデビューし、世界的に活躍した画家で、美しい絵肌の裸婦や自画像で人気ですが、画中に描かれた猫は単なる愛らしい動物画でなく、多くの人の心をとられているのではないでしょうか?そこに藤田の美学と生涯が凝縮されたモチーフとなっているようです。

今回の特別展は、まず初めに西洋画の中の猫と言うことで、有名なエドウアール・マネのオランピアの中の尾を立て自己主張する猫、印象派カミーユ・ピサロの絵中の猫の絵、日本画家菱田春草の黒猫を展示し、猫が描かれた絵を西洋画と日本の洋画を比較して、鑑賞させる。

すぐその後に、藤田の猫の絵でも、象徴的で有名な五人の裸婦の絵を展示、数メートル離れた場所に藤田が猫好きを象徴する「猫を抱く自画像」をはじめ「見返り猫」等の絵をはじめとする猫百態を思わせる絵の数々を次々見せる粋な計らいの素晴らしい展示をしているのには驚かされます。

藤田嗣治の猫は毛一本一本まで毛並みが細密に柔らかな線質を保って描かれ、精緻な軽やかさを感じさせます。藤田がパリで学んだ西洋のデッサン技法を極めながら、日本画の輪郭線の潔さを融合させているように感じられます。また、猫が乳白色の肌を醸し出し、乳白色の肌をした官能的裸婦とともに、両者の皮膚感覚が同じような質感で描かれ、まるで猫が女性の分身か心の鏡であるかのようです。

藤田が描く猫、特に戦後(昭和24年以降)は人間的に描かれ、心理的にも象徴的存在になり、時に妖艶になっている様子が、作品群から伝わってくるような感じがします。藤田の猫の目をしばし見ておりますと、こちらを見返すような眼差しで、観る者との心理的葛藤・対話を誘うような、時に妖艶さを感じさせ、観る者の感性を疲れさせるようです。

藤田の展示コーナーの後は、藤田の作品の数々を見ながら近代日本画家の猫の絵の展示を見ていますと、藤田以外にも猫を魅力的に描いた作品がたくさんあることを知らせると同時に藤田の猫の絵の影響の大きさを考える良い機会になっています。熊谷守一の朴訥な猫、猪熊弦一郎のモダンともいえる猫など、個性的な猫が描かれ、展示されています。

(記  野口)

『ゴッホ展』

9月14日 東京都美術館

線状降水帯の合間を縫って上野の東京都美術館で『ゴッホ展』を鑑賞しました。ゴッホと言うと、日本人には大変に人気がある画家ですが、37歳でわずか10年の画家としての活動を終えたゴッホが世界中から称賛されるようになったのには、兄のあとを追うに夭逝した弟の画商テオの存在が大きいのはよく知られています。しかしテオの妻、ヨハンナについて寡聞であったのは私だけでしょうか。

自らが描いた絵と交換することで、同時代のゴーガンやベルナールなどの作品、数千点のゴッホの作品が散逸することがなかったのは全財産を相続する事としたテオの功績であり、ゴッホの評価を高めるため展示会など催し、大英博物館にあの有名な「ヒマワリ」の絵を渡す事でゴッホの名が世界的になったのはヨハンナの功績である。さらにヨハンナの息子ウイレムはゴッホ財団の設立に携わり、ゴッホがいかに家族から愛されていたが鑑みられる。

今回の展覧会では、ヨハンナへ死神のようみえると紹介した「自画像」が目玉だが、その表現もゴッホの照れ隠しとしか思えない。展示作品としては日記、手紙、素描も多く、滞在したプロヴァンスの風景などの作品に囲まれている。 田舎を愛し、家族を愛し、市の人々を愛したゴッホに接することが出来た充実した時間であった。  

( 水野 聡 記)

江戸大奥

8月24日  東京国立博物館

まだ猛暑が続いていた8月24日(日)、上野の東京国立博物館に特別展「江戸大奥」を観に行った。大奥とはなんとも艶っぽい言葉である。様々なドラマや映画でも取り上げられてきたが、男子禁制などの理由もあって、その実態は明らかではなかった。当時「女中法度」という法律まであり、大奥で見聞きしたものを口外することを厳しく禁じていたからだ。

さて、今回の展覧会ではその大奥の生活を再現することに注力されている。女中たちの衣装、身の回り品、絵画骨董など芸術品が数多く展示されている。その贅沢さ、重厚さは言うまでもないが、中には「奥奉公出世双六」などという珍品も含まれている。

大奥に仕えた大勢の女中たちが、どこまで出世できるかを双六というアナログゲームで表したものだ。徳川将軍に仕える大事な任務とはいえ、出世にも関心があるとは、俗世間とも無関係ではなかったことが分かる。現在放送中の大河ドラマ『べらぼう』で冨永愛さんが演じる高岳がそうだが、大奥の最高権力者の役職名が「老女」だったとはいささか気の毒な気もする。ちなみに冨永さんは本展覧会の音声ガイドナビゲーターも務めている。

ところで、時代は大きく異なるが、現代日本はジェンダーギャップ指数で世界ランキング118位(2025年)と下位に喘いでいる。その大きな要因として、女性の政治参加の低さが挙げられている。しかし、江戸場内という限られた場とはいえ、当時大奥の女性たちは日本全体の政治まで大きな影響を及ぼしていたのである。思い切って政治を任せられるような人材は今の世の中にはいないのだろうか。そう思いながら家路についた。(金井良寿記)

「イマーシブシアター 新JAPONISM 縄文から浮世絵 そしてアニメへ」展

7月13日   東京国立博物館

2025年1月から3月にかけて4回シリーズで放送された「NHKスペシャル 新ジャポニズム」関連イベントです。

アートを通じたタイムトラベル体験で日本美術の歴史、1万6千年を24分間の短い時間で一気に体験出来ます。

会場は東京国立博物館の本館特別5室で、埴輪武装男子立像の画像を見上げると、高さ7メールの大モニターによる大迫力で迫ってきます。横や後ろからも声が聞こえて来るので、見返ると、進行役の横浜流星さんが前から、横から、後ろからナビゲートしてくれます。

映像は縄文土器から始まり、埴輪、絵巻、鎧兜、浮世絵、さらには世界で人気のアニメまで矢継ぎ早に紹介していきます。

今回のテーマである新ジャポニズムを象徴するアニメに関しては、細田守監督(映像では「竜とそばかすの姫」を紹介)のインタビューの中で長谷川等伯筆の国宝「松林図屏風」を例に取り、日本美術の特質として「描きこまないこと、余白を生かすこと」を紹介しました。この屏風の画像もイマーシブの特性を生かし、クローズアップを前面に、全体像を左右に丁寧に上映し、細田監督のメッセージが伝わる工夫をしていました。

他に手塚治虫や高畑勲のインタビューも盛り込み、一つの完成したアートドキュメンタリーになっていましたが、会員の中からは「少し物足りなかった。」という声もありました。

ではなぜ、短い時間でまとめたのでしょうか。実は、映像で続々と紹介されていった古美術の作品の多くは東京国立博物館の所蔵品でした。つまり、この映像にカタログの役割を持たせることによって、コレクション展の観覧も促しているのではないかと思い当たった次第です。

今回は特別1室、2室で開催の「創建400年 寛永寺展」も観覧することにしていましたので、新ジャポニズム視点での常設展の観覧はまたの機会にして会場を後にしました。

最後に、美術愛好会では6月には「デザインあ展neo」を観覧、9月には「ゴッホ展」を予定するなど日本美術、西洋美術にとどまらず、考古から現代まで幅広く注目の展覧会を観覧しています。主に月別第二日曜日午前中を中心に鑑賞し、その後会食をしながら、展示関係のクイズをし、反省会をしております。おためしでの参加も歓迎します。ご参加希望の方はお気軽にお声がけいただくことをお待ちしております。

美術愛好会入会希望者、お試し参加希望者は

会員連絡担当者 野口 昇一 メールアドレス

noguchi5963@jcom.home.ne.jp

noguchi1381@icloud.com

にメールをお願いいたします。

(浜野伸二記)

「デザインあ展neo」観覧記

6月29日 TOKYONODE 虎ノ門ヒルズステーションタワー45F

デザインっておもしろい!デザインって心地いい!

身の回りのデザインにこめられたよりよく生きるための工夫や思考を 斬新な映像と音楽でこどもたちに楽しく伝えます。NHK Eテレで放送されている番組「デザインあneo」のホームページにはこう紹介されています。

確かに客層は明らかにファミリー層です。今回も会場は日本の少子化どこへ行ったのやらと言わんばかりに親子連れでいっぱいで、展示ごとにこどもたちが展示物を触れたり動かしたりする様子とそれを見守る親の姿、その後ろに並ぶ長蛇の列がそこここで見られました。しかし内容的には、総合ディレクターを務める佐藤卓さんをはじめ、今をときめく日本を代表するデザイナーの方々が集結し、これに加え、NHKグループの力を総結集したハイレベルの展覧会で、大人が見てもおもしろいし心地よい展示です。

自分の場合クリエイターではありませんが、企画者たちの発想力の素晴らしさに膝を打ち、まずは「一本取られた。」「とても敵わない。」など、こどもたちとはちょっと違う見方で楽しめました。次に彼らの「どうだ!」という、したり顔を頭に浮かべ、「コンチクショー、いい仕事しやがって。」と素直にその仕事を讃える気持ちになります。しかしそれも長くは続かず、今度は彼らがワイワイガヤガヤ楽しみながら展覧会を組み立てている姿を思い浮かべ、自分でもやってみたいとその才能に妬ましい気持ちを持ちながらも自分の凡庸さに思い至ります。そして最初の「とても敵わない。」に戻り、「仕方ない。こうなったら楽しむだけ楽しもう。」と開き直って展示に向き合うのでした。

では、具体的にどんな展示に「一本取られた。」のでしょう。

最も面白かった展示は「るてす」でした。

このままでは意味をなさない言葉です。展示を見ると、台湾のランタンフェスティバルのような無数のランタンが空を舞うように、なにやら袋状のものが空に舞い上がっています。その行き先にあるのは公園に設置しているようなスチール製のゴミ箱で、次々と袋が吸い込まれていきます。よく見るとその正体は買い物用のレジ袋でした。ゴミ箱に吸い込まれたレジ袋は一定時間が経つとふわりと降ってくる仕組みになっています。ここで初めて反重力のゴミ捨て行為の言葉がひっくり返されていることに気がつきました。

展示には映像も含め、こうしたデザインが35も用意されています。

この他、360度のスクリーンに囲まれて映像と音楽をからだいっぱいあびる部屋では、目覚まし時計など身の回りのものが、解散と集合を繰り返す姿はとてもシュールで見応えがあり、会場満員の親子から歓声が起きていました。

展示場を出ると、最後のコーナー、『「あ」になろう』があります。「あ」の縦棒の代わりに自分が文字の一部になって記念写真を撮影できるコーナーで、観覧者は思い思いの「あ」になっていました。

このように見ているだけでも脳の刺激になる展覧会です。

「次はなに?」「次は?」と疲れを知らないこどものようになれた一日でした。

浜野伸二記

特別展・蔦屋重三郎

5月6日   東京国立博物館

★大江戸の出版文化に満腹

五月雨降りしきる中、東博を目指して歩く。小学生の頃に切手集めが大流行したことを思い出す。クラスで持ち寄って自慢し合った日。お年玉をはたいても手が届かなかった切手趣味週間の「写楽」と「ポッペンの図柄から、浮世絵という言葉を初めて知った。

今回特別展はまさに浮世絵と洒落本のオンパレード。NHK人気ドラマ「べらぼうめ」の主人公、蔦屋重三郎(1750~97年)の生涯をたどる形式である。宝暦〜寛政期を三区分し出版文化の変遷をたどる。宣伝チラシのキャッチフレーズは「コンテンツビジネスの風雲児」。主催者㏚の「放送100年」のワッペンも忘れていない。

最大の見どころは第3章「浮世絵師発掘」の東洲斎写楽と喜多川歌麿の作品群であろう。大首絵といわれる当時流行の役者絵と美人画がズラリと並んで江戸情緒たっぷりである。おまけにプラスチック製の吉原遊郭桜並木、浅草名物の花火のアニメーション、遊郭街を再現する模型の家屋群。美術展と言うよりは、さながらエンタメ・イベントの設営場である。これもTⅤドラマのエピゴーネンのおかげかな?

「写楽」コーナーは「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」「二代目坂東三津五郎の石井源蔵」などが国の重要文化財。「歌麿」の方は「品川座敷の遊興」「高名三美人」などが重要美術品。くだんのポッペンを吹く娘の図もあって懐かしい。これらを商品化した蔦屋重三郎ほか大江戸の出版人らが、いかに幕府の統制に反逆しながら庶民の美意識を刺激し続け、多くのコンテンツで世を動かしたか。それが詳しく解説されていた。展示品の総数は258点。

はい、十分に見させていただき、満腹状態。でも、大首絵って、どうしてこんなにも対象人物の性格のインパクトを強めなくてはならないのだろうか。美人画の女性はみんな同じ狐に見えて来る不思議?「浮世絵」に登場する人物像の皆さんは、内需と文化の爛熟時代のシニカル表現の極みなのだろうか。わたくしは「浮世離れ」でいたいと、つくづく思った次第。毎回のチケット用意とクイズ製作の浜野さん、特にカメラ担当の奥様、ありがとうございました。 

(滑志田 隆記)

相国寺展

2025年4月20日東京藝術大学美術館

例年より少し遅めに満開となった桜もすっかり散った4月後半、上野の東京藝術大学美術館で開催中の「相国寺展」に行く。「相」と書いて「しょう」と読む。人相など形を意味する時は「そう」と発音するが、宰相、首相など政治が関係している場合には「しょう」になるのだという。「相国」とは国をたすける、治める意味である。中国から来た名称だが、日本でも左大臣の位を相国と呼んでいた。相国寺を創建した室町幕府第三代将軍の足利義満(1358~1408)はまさにその左大臣であり、相国寺と命名された。

もっとも、著名な古刹名刹が多数存在する古都京都にあって、相国寺という名を聞いてもピンとこない方もいるに違いない。しかし、日本史の教科書に登場し、京都修学旅行の定番コースになっている金閣で知られる鹿苑寺、銀閣の慈照寺はともに相国寺の支院(塔頭)として管理下にある。この一点だけでも相国寺の位置づけがわかるはずだ。

さて、1382(永徳2)年の創建から640年あまりの長い歴史を有する相国寺は臨済宗相国寺派の大本山という禅寺であると同時に、室町時代から江戸時代、そして現代まで脈々と続く文化芸術の宝庫でもある。雪舟をはじめとする室町時代の禅宗画僧、江戸時代の狩野探幽、円山応挙、伊藤若冲など数多くの日本画の大家が相国寺を中心とする文化に学んでいる。

1984年、相国寺や鹿苑寺、慈照寺など塔頭寺院に伝わる文化財の保存修理や公開のため、相国寺承天閣美術館が作られた。今回の展覧会はその40周年を記念して企画されたものだ。国宝・重要文化財40点以上を含む約160点(前期・後期計)を東京にいながら観ることができる贅沢な催しである。

中国で学んだ禅僧が持ち帰った書や画、それを手本に学んだ周文ら相国寺の画僧たちが新しい表現を開き、周文の弟子である雪舟、さらに江戸期に移って狩野探幽、円山応挙、伊藤若冲へと受け継がれている。そんな貴重な作品群が時代を追って並べられているのだ。

久しぶりに京都まで行って相国寺を実際に見てみたい。見学を終えた後そんな気持ちになった人は多いはずだ。

(金井良寿記)

ヒュッゲな暮らしをデザイン 北欧のあかり展

3月9日 高島屋日本橋S.C.

この会でも観覧した「カール・ラーション(2018年、SOMPO美術館)」など、2017年から数年にかけて日本と北欧の外交樹立の記念展が相次いで開かれたことにより、日本でも北欧をテーマにした展覧会が続々と開かれるようになりました。

しかし、振り返ってみると私たちは北欧のことをどれだけ知っているのでしょうか。

以前は画家で良く知られているのはムンクくらいでした。ハマスホイが日本で認知されたのも2008年の国立西洋美術館での展覧会と、つい最近のことになります。本会では「北欧の神秘(2024年、SOMPO美術館)」も観覧しましたが、ポスターピースになっている絵画《トロルのしらみ取りをする姫》の作家、キッテルセンの名前を覚えている方はどれだけいらっしゃるでしょうか。

さて、今回の展覧会ですが、「あかり」に焦点を当てた、かなりマニアックなテーマです。作家の名前も私の場合、かろうじてフィンランド・デザインの展覧会で知ったアルヴァ・アアルトくらいでした。

では、なぜ今この展覧会が開かれたのでしょうか。

東京会場での特別出品作品に「100周年を迎えたパリランプ」とあります。100年前に開かれたのはパリ万博(通称アール・デコ博覧会)です。また、家庭でのあかりの嚆矢はエジソンが日本の竹をフィラメントとして使って実用的な白熱電球を発明(1879年)と、パリ万博から100年、あかりにゆかりのある日本の万博年に開催される意義の高い展覧会だということが分かりました。

この《パリランプ》をデザインしたのが近代照明の父と呼ばれるポール・ヘニングセンです。キャプションには「アールデコ様式の装飾デザインが主流を占めたパリ万博にあって、 ヘニングセンのランプは"Form Follows Function”というデザインアプローチで際立ち、高い評価と賞を得ました。 」とあります。装飾よりも機能を優先したにも関わらず装飾をテーマとした博覧会で金賞を受賞したことからもどれだけ機能とデザインを両立した革命的なデザインだったのかがわかります。

ポール・ヘニングセンはここに止まらず、100%グレアフリーの《PHランプ》を完成し、代表作《PH5》につなげます。会場には「ヘニングセンと協働したルイスポールセンは、当時デザインされた質の高い照明器具を、時代を超えて製作・販売し続けている。 」とありましたので、展覧会を観たその足でザ・コンランショップ丸の内に行ってみました。

そこには《PH5》に止まらず、《PHシリーズ》が数点と本展の出品作家のアルヴァ・アアルト、フリッツ・ハンセン、ヴァーナー・パントン、コーア・クリントの照明器具を見つけることが出来ました。

今回の展覧会を通して、今では普通の家庭に入り込んでいるおしゃれな北欧デザインの素晴らしさに気づきが得られたとともに、展覧会に出かけたらこれまで知らなかった作家のことを覚えておきたいという気持ちを再認識する機会になりました。

(浜野伸二記)

次回予定  相国寺承天閣美術館開館40周年記念展 東京芸術大学美術館 4月20日(日)

国立西洋美術館常設展

2月9日  国立西洋美術館

今季最強・最長といわれた寒波もようやくひと段落し、お出かけ日和の上野公園は国立西洋美術館へ。過去最大規模!と盛り上がるモネ展の大行列をすり抜けて、今回は常設展を訪れました。第二日曜日は、同館の核となる「松方コレクション」の創始者・松方幸次郎氏が初代社長を務めた、川崎重工(旧・川崎造船所)プレゼンツのおトクな無料観覧日ということもあり、こちらも多くの人でにぎわっています。

普段はつい「今しか観られないものを」と企画展巡りを優先させがちですが、定期的に常設展もチェックする価値があると思わされたのは、近年・新規の収蔵品や初公開作品が想像以上に多かったため。

例えば15-16世紀のイタリア人画家ルドヴィーゴ・カラッチ「ダリウスの家族」は、戦前に一度松方氏の手を離れるも2019年に同館に寄贈され、洗浄・修復作業を経て84年ぶりの国内公開を迎えたといいます。また、西洋女性画家のパイオニアであるラヴィニア・フォンターナ「アントニエッタ・ゴンザレスの肖像」や、“トロンプ=ルイユ”(だまし絵)で知られるボワイーの版画を模倣した油彩画「クリストフ=フィリップ・オベルカンフの肖像」などを新収蔵品として公開。その他2010年代以降に仕入れられたものも多数あり、日本トップクラスの規模・知名度の美術館といえど(だからこそ?)アップデートが図られ続けていることに気づかされました。

個人的に最も印象的だった作品は、小企画展「オーガスタス・ジョンとその時代―松方コレクションから見た近代イギリス美術」の終わりに置かれた、戦争画家C.R.Wネヴィルソンによる「波」。しぶきを上げながら激しくうねる青い波を大写しにし、出会うところが西洋美術館でなければ浮世絵として記憶してしまいそうな版画でした。

今後は、一度訪れた常設展示にももっと足を運び、また新たな出会いや発見がありますように。

(立花 聡子)

新春「HAPPYな日本美術」

1月5日 山種美術館

今回は「新春にふさわしい、おめでたい作品が大集合!」、「福来る!心がHAPPYになる展覧会!」のキャッチフレーズに迷うことなく「特別展HAPPYな日本美術~伊藤若冲から横山大観、川端龍子へ~」開催中の広尾の山種美術館へと向かう。

展示は1.福を呼ぶ-吉祥のかたち、2.幸せをもたらす一につこり・ほのぼの・ほんわか の部構成になっている。各々の作家は錚々たる顔ぶれだ。

1.は更に①新春を寿ぐ②おめでたいトリオ松竹梅③生きものに込められた吉祥④聖なる山蓬莱山と富士山⑤縁起のよい神七福神とに分類されている。①には巳年に因んだ絵が展示され、③は象徴する動植物-長寿の鶴、富貴の牡丹,立身出世の鯉などが描かれた絵が多い。特に今回目立ったのは②のおめでたいトリオ松竹梅であった。なんと横山大観の松(白砂青松)、川合玉堂の竹(東風)、川端龍子の梅(紫昏図) の作品が隣接して展示されていたのだ。なんという豪華さ、その存在感に圧倒された。

2.は見て楽しく、ハッヒ。ーになる作品群。ユーモラスな表現や幸福感のある情景を主題とした作品が多く、ほっこりした気分になれる。こちらも伊藤若冲の「伏見人形図」、山口華柵の「生」などが存在感を示していたが、その中で川端龍子の「百子図」の絵の前には人だかりができていた。

ということで暫し福を呼び、幸せをもたらす絵画の世界にどっぷりつかり、至福の時を過ごして美術館を後にしたのであった。

(高橋隆門記)

はにわ展

12月7日 東京都国立博物館

稲門美術愛好会は東京国立博物館で開催中のはにわ展を見学してきた。開催日終了1日前の土曜日ということで、入場までは長蛇の列となっており、入場するまで1時間以上かかってしまい、改めてはにわの人気を再認識させられた。

はにわというと、挂甲の武人(けいこうのぶじん)を切手の図柄と共に思い浮かべる人が多いと思われるがこの展覧会はその武人が国宝に指定されてから50周年を記念して開催された。この切手は「武人はにわ」が国宝指定された1974(昭和47)年に最初に作成され、2011(平成23)年に最後のデザインが出来上がるまで何回かに渡り200円切手とし作られ馴染みが深い。このモデルとなったはにわは、国立博物館の所蔵であるが、同じ工房で製作されたと思われる兄弟はにわが五体、全国、アメリカに散らばって存在する。今回はその五体が一同に整列している。いずれも帯刀、弓矢を身につけ、鎧と兜で武装している。うち2体は刀の柄に手をかけ、今にも抜刀しそうである。ただそのような武人でありながら、目もとには何か涼しげな表情が漂っていると思ったのは私だけであろうか。

同じく国立博物館所蔵のはにわの一方の代表が、踊るはにわである。極端にデフォルメされた人物が片手は挙げ、片手は下ろし、口、目は大きく開かれさも浮かれて踊っているかのようである。背後で笛、太鼓の音が聞こえても違和感はない。ただ最近の研究では、馬を曳いているようすではないかとの説も囁かれている。

はにわが造られた年代は3世紀から6世紀ごろまでである。時代としてはを卑弥呼などを頂点とした大王たちが出現した時期で、この王たちの墳墓の副葬品として発掘されている。はにわは馬、犬、鳥などの生き物を写したもの、家、舟などの生活に必要な設備などをかたどったものなど多種にわたっている。家型はにわの中には、現代の家屋とも比肩しうるような立派なものまで作られている。

世界各地に死者の霊を労わるための埋葬品が出土されているが、その写実性では他国に一歩譲るものの、表現の豊かさや人間らしさでは、他国の埋葬品に劣るものではない。

はにわは人の心を豊かにする表情があった。

なお、余力ある人は浅草で開催の花魁道中を見学した。

(文責 水野 聰  )

英一蝶展

10月27日 サントリー美術館

英一蝶は元禄年間に江戸を中心に活躍した絵師です。菱川師宣などに触発され、市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出しました。その特徴は、鮮やかな色彩、細密な描写、そして自然と人間の調和を感じさせるデザインです。花や蝶が主題となっていることが多く、それらが生き生きと描かれ、観ると命の輝きを伝える力強い作品として見受けられました。数え47歳で三宅島に流罪になります。

江戸へ戻りますが、島で描かれた作品は「島一蝶」と呼ばれ、特に高く評価されました。江戸再帰後の英一蝶の作品には、日本の伝統的な色彩や金箔、銀箔の使用が見られ、華やかでありながらも落ち着いた趣を感じさせます。これらの素材が独自の光沢と質感を生み出し、作品全体に優美な印象を与えています。

また、細部にまで施された巧妙な技術により、観る角度や光の当たり具合によって異なる表情があります。今年没後300年で「絵師・俳諧師としての活動を包括的に展示された回顧展でした。個人的には当時の高志の必須教養であった「琴碁書画」を描いた「琴棋書画図屏風」に関心を持ちました。

(報告者・斎藤皓一)

田中 一村展

9月23日  東京都美術館 参加者7人

田中一村(1908~1977)の名は南西諸島の世界自然遺産登録と共に高まっている。「奄美の光、魂の画家」のキャッチフレーズ。その展覧会は漂白と波乱に満ちた一人の画家の物語である。

1908年に栃木県で生まれた田中は幼少期に野鳥を描くなど余りにも早熟だった。東京の名門私立・芝中学で学び、東京美術学校に進んだ。すぐに退学したのは、岡倉天心一派が築いた院展の画風に馴染むことができなかったからだ。

自己主張を込めた異色の日本画を発表し続けるが、公募展では相次いで落選。「世俗的な栄達とは無縁」されるが、椿図屏風(1931年)、白い花(1947年)などは不屈の画業の軌跡を刻んでいる。

50歳にして奄美諸島の亜熱帯の自然の中に、揺らぐことのない己の道を見出だすことになる。千葉から奄美大島に移住し、染物工場で職工として働きながら、独自の日本画の表現方法にたどり着いた。巨大な自然風景への執着を描き、絹本大作の連作に至るまでの三百余点。亜熱帯の陽光の中に生い茂るガジュマル、ソテツ、アダン。それらの重量感あふれる緑色が日本画とは思えないほどに厚い絵の具で描かれる。

画布の中で躍動するアカショウビン、ルリカケス、アカヒゲなどの野鳥が希少な命を謳歌する。画家が幼少期から追い求めてきた自由自在の自然讃歌である。それは奄美の自然に触発され、ようやく自分のものになった。そのダイナミックな自己発見の過程が「岩上の磯鵯」(1960年)、「不喰芋と蘇鐵」(1973年)などの大作に込もる。南国の自然の中で開花した〝日本のゴーギャン〟を観る展覧会だった。

(報告者・滑志田隆)

神護寺展 空海と真言密教のはじまり

2024/8/17  東京国立博物館 平成館

神護寺に伝わってきた国宝、名品、至宝の数々を一堂に鑑賞できる貴重な機会でありました。空海や初期の神護寺にまつわる作品に、空海の自記筆のメモ「灌頂暦名」がありますがこの中に伝教大師最澄の名前があるのに感動いたしました。空海名筆で有名ですが、筆跡には王義之や顔真卿に何か通じるスタイルがあるように感じられました。

次は歴史教科書に出てくる「伝源頼朝像」です。今回は模写ではありましたがこの絵が神護寺蔵であったのかという思いと神護寺の宝物、空海の活動の偉大さに 驚かされされます。この絵の反対側には、縦4メートルを超える両界曼荼羅の金剛界が展示されています。大日如来を中心とした密教の宇宙観が図示され、雄大な迫力が圧巻です。

次のコーナーでは円満な慈悲の相を示し、赤釈迦と称されている「釈迦如来像」が出迎え、神護寺の繁栄を伝える数々寺域の風景等の絵や仏像が展示されております。なかでも5大虚空蔵菩薩像は円形に並べられ、密教の仏教空間的雰囲気を感じる展示空間です。最後が国宝の神護寺御本尊「薬師如来立像」です。かなり厳しい眼差しをしながらどっしりとした頼もしさを醸し出している立像で、ほとんど一本木作りの技法を用いている平安時代の名品であります。

(記 野口 昇一)

生誕100年越路吹雪衣装展

7月15日 坪内博士記念演劇博物館

母校早大坪内博士記念演劇博物館へ行く。国民の祝日・海の日なのに結構学生がいる。シエークスピア完訳記念館でもある館では珍しい企画。まずピカピカのエレベーターで3階へ、じつは大学でエレベーターに乗ったのは初めて、在学中は4階建て教室ばかりだった。イブサンローランデザインのきらびやかなドレスが10体ほど林立、チョット触ってきた。「秘密」ショウケースにも陳列。白、赤、花模様、この衣装でラストダンスは私に、愛の讃歌を歌ったのだ。衣装のほか当時のポスター装飾品など拝観。校友の歌手クミコさんは越路吹雪に習ったのかな。

稲門会では20年位前、坪内博士の熱海にある邸宅に一泊旅行をした。当時そこは大学職員保養所で10人以上のメンバーで出かけました。見晴らしの良い傾斜地で広い庭に古い書庫があり、老朽化で5人以下の入場制限でした。私はテニス同好会で25年来毎年軽井沢合宿を続けているが、大学の軽井沢セミナーハウスの林間にグリーンハウスという明治時代の木造校舎が移築されている。そこに坪内博士が講義をされた教室がある。

越路吹雪衣裳展鑑賞の後は、隣の早稲田大学国際文学部村上春樹ライブラリーの展示、会津八一記念館を見て高田馬場駅近くで反省懇談研究会。

今回から新入会員立花聡子さん、文化構想学部2012年卒が参加されました。大歓迎です。  

(記 金子)

法然と極楽浄土

2024/6/2  東京国立博物館 平成館

法然の人生と思想を「その時代」「阿弥陀仏の世界」「弟子たち法脈」と「江戸時代の浄土宗」とテーマを分類して分かりやすい。教科書に出てくる「往生要集」「法然上人絵伝」など絵画、彫刻、書簡、経典などの貴重な資料が展示をしている。

法然の生涯を紹介し、彼の思想や教えがどのように当時の文化や宗教的な風潮と極楽浄土のイメージを具体的に理解し、法然が目指した浄土宗の信仰の意義を垣間見ることができる。

法然(1133年 - 1212年)は、日本の浄土宗の開祖であり、浄土信仰の普及に大きく貢献した。その思想は「念仏」を唱えることで誰もが極楽浄土に往生できるというもので、当時の社会に大きな影響を与えた。今回の法然と極楽浄土展は、法然の生涯と彼の教え、歴史的背景や宗教的意義を個人的に少しは知ることができました。

(斎藤皓一 記)

川崎大師吉例十年目毎・大開帳奉修

5月12日

久し振りに神奈川県へ足を踏み入れました。五月は十年目毎の大開帳で大賑わい。大本山川崎大師平間寺という。平安時代平間という武士が尾張を追われて流れ着いて、漁師になり日夜厄除け祈願を続けているうち、高野山の尊剣上人が立ち寄られ平間兼乗と協力して寺を建立したという。

当日は赤札授与の行事で善男善女が長蛇の列。大本堂、大山門、五重塔など建物は壮大であるが、美術愛好会は寺宝展を見る。弘法大師の行状図仏のお顔姿を神妙に拝む。普通にあるお顔に見える。彫刻像は少なく絵画、曼荼羅が主で13仏と12天を比べると姿顔がだいぶ異なる。隅寺心経は端正な字、私は入浴中眠らないように般若心経を毎日唱えている。境内には秩父34観音、西国33観音、坂東33観音の石柱があり百観音を3分間で踏破する。嬉しかったのは茶筌塚の脇を歩いていると、お茶をどうぞと中書院座敷に招かれ抹茶を振る舞われた。美味しかった。

八角五重塔では塔内に昇れて40段の螺旋階段を順序よく流された。境内には芭蕉、虚子、子規などの句碑があり文学散歩にもなる。6人の凡人が6聖人になったよう。{失礼}帰宅したら丁度10,000歩でした。

参加者 浜野 野口 水野夫妻 滑志田 金子 計6人でした。

金子正男記

上村松園 松篁 淳之 文化勲章三大の系譜展

4月20日 日本橋高島屋8階ホール

当日は4月20日、土曜日ということで、混雑を予想していたが、思ったより空いていたため落ち着いて鑑賞ができた。
この三人は、実の母、子、孫にあたり、親子三代にわたる文化勲章受賞という快挙を遂げた一族である。それぞれ日本画の巨匠であるが、中でも祖母にあたる松園は文化勲章最初の女性受賞者として特筆される。
松園はそのたおやかな美人画で有名である。早くからその才能が認められ、大きな展覧会での入賞はなんと明治23年、15歳の時であった。当時の女子教育の状況を考えると、いかに早熟で優れていたか感銘せざるを得ない。彼女の作品の多くが日本髪、着物姿の美人画である。彼女は生涯この主題を追い詰めたが、作中の女性は、殆どが正面に顔をむけておらず、伏し目がちである。彼女は幼くして父を亡くし、母一人に育てられた。その母への思慕の念が、江戸風俗の女性像となって表現されている。控えめで、江戸情緒に満ちた奥ゆかしさを感じる女性は人の心を捉えて離さない。
松篁は母の主題が人物であったのに対し、自然に惹かれたという。母に教えられることなく、その制作に取り組む姿勢に打たれて絵を描き始めたという。その観察対象が、植物であり動物、特に鳥たちであった。彼の描いた絵の中では、植物は描かれている動物たちと同じように主役を演じている。近代画壇における花鳥画の大家である。
敦之は鳥たちとの対話により制作を行うという。そのため彼は1600羽を越す鳥たちを飼育し、観察を行っている。彼の絵に登場する鳥や、動物たちの姿には彼の愛情を感じざるをえない。

文責:水野

西東京稲門会美術愛好会

3月30日(土)の美術愛好会報告。集合地は東京駅前丸の内の高層ビルJPタワー/KITTE3階。東京大学「インターメディアテク(間メディア実験館)を見学した後、丸の内「アーバンテラス」の立体造形プロムナードを見歩きました。この日の都心は最高気温27度のポカポカ陽気。ゲスト参加の中国人留学生を入れて参加者10人。
「インターメディアテク」は2013年開館。東京大学総合研究博物館は日本郵便株式会社とミュージアムのあり方について研究し、「現代社会におけるミュージアムの役割を追求すべく創設された公共貢献施設」とPR。鉱物や化石、生物、民族考古資料などの博物標本がギッチリ所狭しと並んでいました。19世紀中葉以降、帝国大学の権威のもとに世界中から収集された資料の数々。鯨類の全骨格標本や巨大なタカアシガニの乾燥標本、世界各地の先住民族の使用した土器や衣装‥。中には頭の二つある奇形亀の写真や巨人症の人物の掌のX線写真など奇抜な展示品も。
普通の博物館と異なり採集時期も場所も「不明」の珍品類が、カテゴリーを無視して雑然としかも妙に権威的に陳列されていることが特徴です。そのユニークさについて東大の売り文句は「皇居や東京駅など伝統的建造物群と現代の先端的商業施設が彩る東京。そこに、それらとは場違いにも見える一世紀あるいはそれ以上も前の大学什器とともに荘厳な雰囲気の中にならんでいる」とか。「大学什器」という代物には“略奪”のイメージすら付きまとうーーと感じたのは、きっと私ばかりではないことでしょう。まことに不思議な感慨をももたらす空間でありました。
日没を意識して急ぎ足で回った「丸の内ストリートギャラリー」。大手町から有楽町に通じる丸の内仲通り沿いに19点の立体造形が並んでいました。私たちが見たのは1. ルネッサンス(キム・ハムスキー)2. 展望台(ジム・ダイン)3. 小さな魚を大事そうに運ぶ女の子と金ピカの空を飛ぶ青い鳥(中谷ミチコ)4. われは南瓜(草間彌生)5. 白のマスク(澄川喜一)6. 恋人たち(バーナード・メドウズ)7. 《羊の形(原型)》ヘンリー・ムーア。あとは覚えきれません。と言うよりは記憶に残らず。しかし、草間彌生の作品はさすがに“尋常ではない”変形した力感表現です。この色彩の魔術師は「野外」というか「野生」が似合っています。
これらアート群は1972年より三菱地所株式会社と公益財団法人彫刻の森芸術文化財団が共同で取り組む「街づくりプロジェクト」とか。2022年に新作で入れ替えを行い、改めて注目されました。今、SNSなどオンラインメディアが横行する日々に、足で歩いて美と出会う歓びを復元しています。その意図に拍手。
反省会は池袋の中華料理店「・・・」で。店名は忘れましたが、新疆ウイグル自治区の料理の変わった風味が忘れられません。案内してくださり、中国語でオーダーしてくれた東大助教、蒋姸さんに深謝。また来てね。(報告者・滑志田 隆)

『建立900年・特別展「中尊寺金色堂」』

@東京国立博物館 2月11日(日・祝)

入場してすぐ圧倒されるのは、8KCGの技術(NHKと東京国立博物館共同開発)を用いて再現(幅約7㍍×高さ約4㍍の大型ディスプレイ上に)された、黄金に輝く原寸大の金色堂。室内装飾の工芸技法、黄金に輝く空間を隅々まで堪能。中尊寺を訪れたのは半世紀以上も前のこと、当時こんなに輝く金色堂を見る術もなく、今回改めてこの迫力と美しさに感動を覚えることとなった。

しかし、それよりも何よりも阿弥陀如来をはじめとして観音菩薩、勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天(全て国宝)が、奥州藤原氏ゆかりの平泉から900年の時を経て、初めてわざわざ東京・上野にお出ましいただいたこと。こんなに間近で拝謁できる機会もなく、ましてや後ろ姿はまず見られない。

その中でも、平和を願う奥州藤原氏建立の中尊寺金色堂の本尊「阿弥陀如来坐像」(作者不詳)は、“小ぶりながら堅牢な造り、しなやかな体つき、浅く刻まれた衣紋の表現に加えバランスの行き届いた「破綻のない円満なお姿」”との評。その姿は、当時の京にはなく後の鎌倉時代に流行するもので、先例にとらわれない「平泉文化の柔軟性と先端性」を物語っているとのこと。きりっとした目に、ハリのある頬、その表情は穏やかではあるが意志の強さも感じられる。

金色堂を極楽浄土として表した初代清衡の精神に触れつつも、非戦の願いはいつの時代も虚しい。

最後に平泉といえば「奥の細道」の芭蕉の句。

源義経が平泉にて自害、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)のこと

夏草や 兵どもの 夢の跡

五月雨の 降り残してや 光堂

100年平和が続いた奥州藤原氏の栄枯盛衰の歴史に芭蕉も感ずるものがあったのか。

(緒方記)

「本阿弥光悦展」1月27日(土)東京国立博物館

昨年西東京稲門会に新規入会。以来、毎月諸先輩方と都内の美術館を回り、鑑賞後の懇親会に参加するのが新たな楽しみになっている。今回そのレポートを書く役目を初めて仰せつかった。しかも本阿弥光悦という超有名人である。
さて、初めて彼の名前を知ったのはいつのことだろう。はるか昔の記憶をたどると、「高校日本史」の教科書に載ったのを目にしたのが最初ではないか。しかし、光悦とは一体何者であるのか。書家?画家?陶芸家?そのいずれにも収まることがない多岐にわたる活動。まず肩書にも困ってしまう。今回、国立博物館で開催中の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」はそんな疑問に答えている。
刀剣の鑑定を家業とする名門に生まれた光悦だが、本阿弥家は日蓮法華宗を信仰。光悦自身も熱心な信者だった。裕福な商工業者の集まりである京都の町衆も同じ信徒仲間。そうした信仰を通じて、様々な分野の職人たちとのネットワークが形成されていった。現代風にいえば、光悦はさしずめ「マルチクリエーター」「プロデューサー」といったところだろうか。

今回の展覧会では、書画、漆工芸、陶芸など、様々な分野で活動した光悦の傑作が陳列されている。国宝もいくつも展示されているが、個人的に最も印象に残ったのは重要文化財「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」である。光悦の書に下絵を提供したのは、義理の兄弟でもある俵屋宗達とこれまたビッグネーム。電話もメールもない数百年も前の話。この大作を仕上げるまでにどれだけの書状が交わされ、打ち合わせが繰り返されたか。そんな舞台裏に思いをめぐらせるのも楽しい。

金井良寿記(S57・文)

永遠の都 ローマ展

東京都美術館     2023年12月5日観覧

「永遠の都 ローマ展」はまさに時空を超えた魅力の宝庫でした。会場に足を踏み入れると、カピトリーノのヴェーナスが出迎え歴史の息吹が感じられ、古代ローマの栄華が生き生きと蘇ります。カピトリーノの豊富な展示品は、彫刻や美術を通じて古代文化の深奥に触れる機会を与えてくれました。特に、建築や技術の進化に驚きを禁じ得ませんでした。美しく復元された古代の建造物や彫像は、その当時の巧妙な工芸と芸術の粋を垣間見ることができました。展示の中で、ローマの歴史を彩る人々の生活や日常に迫るコーナーもあり、彼らの営みがどれほど先進的で多様だったかに感心しました。

「永遠の都 ローマ展」の目玉は、古代ローマの美術や文化を象徴する傑作や特筆すべき展示品がいくつかあります。一般的に「永遠の都 ローマ展」で見られます、その中でも特に注目すべき目玉のとしては次のようなものです。

  1. 古代の名作彫刻: ローマ時代の有名な彫刻家による優れた作品が展示されている。例えば、プラクシテレスやミロのヴィーナスのような彫刻が、その技巧と美しさで注目される。
  2. 復元された建造物: 展覧会では、古代の建築物が復元され、訪れる者を当時のローマの雰囲気に引き込まれます。コロッセウムやパンテオンの模型や復元が、会場分かりやすくします。以前、私はローマをバチカンからパンテオンを経てコロッセウムまでを散策した時のことが思い出されました。
  3. 貴重な美術品: モザイクやフレスコ画、古代の美術品が一堂に陳列されます。これらの作品は、当時の芸術家たちが描いた風景や神話、歴史を通じて、古代ローマの文化や信仰を伝えます。
  4. 歴史的な重要性を持つアーティファクト: ユリウス・カエサルやアウグストゥスなどの歴史的な偉人に関連するアーティファクトや文書が展示され、その時代の政治や社会の洞察を提供している。

(斎藤皓一 記)

やまと絵展

11月18日(土)東京国立博物館

今回のやまと絵展は中国の影響を受けながら、独自にアレンジしながら日本的にものを描こうという雰囲気が強まってきた、平安時代から室町時代の優品が精選、展示紹介され、千年を超す歳月の中、やまと絵の優美、繊細さの中に、それぞれの時代の最先端の王朝美の精華を受け継ぎ革新的であり続けてきた様子を鑑賞できました。

先ず展示は平安時代、中国絵画の直輸入様式から和歌が誕生、王朝貴族達の文化的営みが基盤となり、彼らの美意識を色濃く映し出した調度手本や装飾教、工芸品も含め展示されております。圧巻は信貴山縁起をはじめとする四大絵巻、院政期絵巻の数々が鑑賞できることです。

鎌倉時代、やまと絵を担い続けたのは宮廷貴族社会であり、人物や風景の理想化が志向され、王朝時代を慕うかのような美術作品や様々な主題の絵巻が展示され鑑賞できたことは貴族社会の美意識の健在さを示していると思いました。

南北朝、室町時代にはやまと絵の成熟期となり、中国の水墨画に対抗するかのように、多彩な色目と金銀加飾による華やかで眩い画面がやまと絵で志向され和漢の美の融合、新たな文芸に触発された美術の素晴らしさが堪能できやまと絵の心髄に触れたように感じました。

今日鑑賞したやまと絵の優品逸品は千年を超える日本の王朝文化の雅を伝える文化財で、国宝、重要文化財等として、東京国立博物館他日本全国の博物館、美術館、神社、仏閣にそれぞれ厳重に管理・保管されております。今回の展示のように一堂に集められ鑑賞する機会は二度とあるとは思えません。貴重な美術品を満喫した一日でありました。

野口 昇一記

棟方志功展

秋晴れの空の下、皇居の緑が映える東京近代美術館で棟方志功展を見学した。棟方志功は、1903年青森に生まれ、若い時にゴッホの『ひまわり』の絵に衝撃を受け、「わだばゴッホになる」と画家を志した。

棟方は当初油絵を描いていたが、認められず版画に力を入れ始める。後に柳宗悦、濱田庄司をはじめ多くの「民藝」を主張した人達の知遇を得、高く評価されることになる。今回の展覧会では、志功が柳らに認められたきっかけとなった〈大和し美わし〉をはじめ、彼の代表作とも言われる〈二菩薩釈迦十大弟子〉など、志功の精力的な活動を表すかのように、その作品は白黒刷り、色彩刷り、作品の大小などを問わずに圧倒的な迫力で、まさに見るものを襲ってくるかのように展示されている。

志功は目が悪く、板木に触れんばかりに顔を突きつけての作品作りは有名だが、出来上がった作品では、彼の板木に対する愛情そして信仰心の厚さを感ずるものが多い。海外でも有名となった志功であるが、多くの雑誌の表紙やその挿絵、故郷青森のねぶた絵、包み紙のデザインなど卑近なものにも気楽に応じている。また彼の描く女性の顔は、谷崎潤一郎の〈鍵〉の挿絵以来有名となったが、志功の女性に対する憧れを感ずることができる。

偉大な芸術家であるが、我々が志功に親しみを感ずるのもそんなところがあるためかもしない。

水野 聰 記

ガウディとサグラダ・ファミリア展

9月3日(日) 東京国立近代美術館

この日も猛暑日一歩手前の真夏日。今回は東京のど真ん中、千代田区北の丸公園にある国立近代美術館の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に出かけました。

人気のある「サグラダ・ファミリア展」だけあって入場規制が敷かれ、会場内もかなりの混雑ぶりで、展示品を観るのも、説明文を読むのも一苦労でした。

サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会、日本名聖家族教会)はカタロニア・モダニズム建築の中で最も知名度が高く、スペイン第2の都市、バルセロナのシンボルとなっています。天才建築家アントニ・ガウディの作品群を構成するものとして2005年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。

この建物、発案から既に150年が経過しているのにも拘らず、未だ完成に至らず現在も建築中というから驚きです。しかし、今建築中の複数の尖塔のうち最も高い塔(170m)となる「イエスの塔」の完成によってガウディの没後100年となる2026年に遂に全体が完成予定とその日が間近に迫っています。

観覧後出席者5名は大手町地下街のすし店にて懇談しましたが、なんと出席者の6割の方が、現地バルセロナを訪れ、サグラダ・ファミリアを自らの眼で確認していたことが判明。その時の印象を語り合い、場は大いに盛り上がりました。

(高橋 隆門記)

古代メキシコ展

8月19日(土)東京国立博物館

猛暑の中、午後4時、会員は上野に集合。アメリカ以外では奇跡の初公開となったマヤの黄金時代を築いたパカル王の妃・通称「赤の女王」を中心とした出土品を心ゆくまで見ることが出来ました。

又、王と王妃の墓、アステカの大神殿、テオティワカンの三大ピラミッドなど古代都市遺跡の魅力を映像や臨場感のある再現展示で楽しむことが出来、充実感いっぱいの展示会でした。

メキシコの主要博物館から選ばれた140件の至宝はボリューム的にもものすごく、やや忙しい鑑賞となりました。 打上げの本場中国料理が又すばらしく、楽しい夕食会になりました。

(小嶋 弘記)

マティス展 東京都美術館

7月16日、この日も猛暑日。灼熱の中、思い切って上野へ向った。
都美術館に16時集合になっていた。思いの外参加者は多く11名。 皆マティスの魅力の方が暑さに勝ったに違いない。
自画像でマティスの顔を初めて知る。師のモローと違って彼の画は、 赤、青、黄など明るい色を使っている。観ていても力が湧いてくる。 風景画より人物画、静物画の方が力作が多い。私は、お笑いになる方も いるかもしれないが、どの作品展に行っても次の様な事を考えながら 観ている。「この中で一番好きな画をあげると言われたらどれにしよう か。」と
今回は、フォーヴィズムの出発点となった「豪奢、静寂、逸楽」にする ことにした。描き方も珍しく点描である。
絵画以外で心を打たれたのはNHK製作のヴァンヌのロザリオ礼拝堂の ヴィデオである。マティスも生涯の創作の集大成とみなした建築物と 言っているそうだ。
水色一色だけを使用したステンドグラス。光の射し様によって変わる ろうそくの色。こんな素晴らしい礼拝堂がフランスにあるとは知らな かった。この礼拝堂でお祈りできたらなあと思いながらヴィデオの世界 にのめり込んでしまった。
酷暑をしばし忘れさせてくれたマティス展であった。

(河村洋子記)

ルオーを楽しもう!

20世紀美術の展覧会が盛んですね。
美術愛好会でも1月に「ピカソとその時代」(国立西洋美術館)、4月に「エゴン・シーレ展」を楽しみました。
今回は「ジョルジュ・ルオー展」です。
ピカソはキュビズム、シーレは表現主義、マティスはフォーヴィスム、モネは印象派というイメージが定着していますが、ルオーにはそうした画派を特定した語られ方はあまりされて来なかったような印象があります。 実際、会で観覧後のクイズの答え合わせでも、「新古典派だと思った。」などの感想をいただきました。
この際、一度復習してみましょう。
最近、展覧会のチラシを飾った作品から時代別に見ていきます。
「ルーヴル美術館展―愛を描く」のチラシのW表面を飾ったのはブーシェの「アモルの標的」とジェラールの「アモルとプシュケ」でした。ブーシェは美術史では18世紀初頭の装飾性の高い宮廷美術のロココ、ジェラールは18世紀半ばのロココに対して自然で写実的な表現に回帰する新古典主義の代表的な画家です。これに先立つ17世紀の絵画が古典主義で、ギリシャ・ローマの古典・古代を理想とし、均整・調和を重んじました。プッサンやラトゥールなどが代表的な作家です。こうした画派の権威性に対抗し、1874年に「第1回印象派展」を開いたのはモネら印象派の画家たちでした。
「ジョルジュ・ルオー展」での展示でもあったように、ルオーとマティスはモローの教室に学んでいました。モローは聖書や神話に題材をとった理想世界や魂の状態を幻想的に描く作風で象徴主義の作家として知られています。これに対し、マティスは1905年のサロン・ドートンヌ展でフォーヴィスム(野獣派)によりルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を理知的に表現しました。一方、同時期にブリュッケを中心とした絵画運動のドイツ表現主義は情緒的に色彩を使用しました。「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」のシーレは象徴主義、表現主義に影響を受けながらもゴッホに傾斜し、独自の画風を確立しました。
20世紀にはピカソとブラックによってキュビズムが創始されました。それまでの絵画では1つの視点から作品を描いていたのに対しキュビズムでは様々な視点から見た面を1つのキャンバスに収めています。
このように、次回に観覧するマティスと今回のルオーは革新的に20世紀現代美術への扉を開いた大画家であり、二人を比較したり美術史を眺め直したりすることで、アートを鑑賞する楽しみがより深まるのではないかと思っています。

(浜野伸二記)

NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」

5月13日、美術愛好会一行は新入会員・金井良寿さんをお迎えし、日本橋三井記念美術館のNHK大河ドラマ特別展「どうする家康」を鑑賞しました。
1542年、貧しい小国・三河の岡崎城で生まれた少年・竹千代が天下を取るまでの波乱万丈の人生。終わりのない戦乱の時代をどう切り開いてきたのか、どうする家康!! 会場の茶碗、刀剣、甲冑や関ケ原合戦図などの大物屏風、久能山の文化財、信長・秀吉はじめ各武将の画像など時代の背景がよくわかる展示物がいっぱいでした。
代表的な出来事を記してみました。
・三河國寺部の攻撃に参加(初陣)。実名を元康と改める、17才。
・桶狭間山で今川義元が敗死、19才。
・織田信長と和解する、20才。
・元康を家康と改名、22才。
・徳川に改姓、24才。
・遠江浜松城を築城。姉川の戦い。上杉謙信と同盟、29才。
・三方ケ原の戦いで信玄に大敗、31才。
・長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勝頼に勝利、34才。
・相模北条氏と同盟を結ぶ、38才。
・武田氏滅亡。本能寺の変勃発、41才。
・織田信雄に与して羽柴秀吉と戦う(小牧・長久手の戦い)。
11月、秀吉と講和する、43歳。
・本城を駿河城に移す、45才。
・北条氏直が秀吉に降伏、49歳。
・豊臣政権に参画、53歳。
・秀吉死去、57歳。
・大阪城西の丸に入る、58歳。
・関ケ原の戦いに勝利、59歳。
・従一位右大臣兼征夷大将軍に叙任、江戸開幕へ、62歳。
・駿河駿府城に入城、66歳。
・大坂冬の陣起こる、73歳。
・大坂夏の陣起こり豊臣氏滅亡、74歳。
・死去、久能山に埋葬される、75歳。
・日光に改葬される
(詳しくはNHK出版・どうする家康、NHKドラマでどうぞ)
(展覧会終了後、会場前の道路で神田まつりご一行に会うことが出来、暫しまつりの一部を楽しむことが出来ました。 小嶋 記)

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