9月21日 (月) 晴れ
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今年は敬老の日と秋分の日を含めて19日から23日までの五連休となり、シルバーウィークと呼ばれた。天候にも恵まれどこの観光地も賑わったようだ。我々の散策の会も久しぶりに祭日に出かけることになった。いつもはゆったり座ってゆけるところだが、山手線も京浜急行もかなり混雑していた。 ★
高田馬場駅に集まったのは初参加の安井夫妻と水野氏を含めて10名、金沢八景駅で浜野氏が合流して総勢11名となった。 ★
金沢八景駅前の通りを横断して20mほど行くと琵琶島神社の鳥居が建っている。北條政子が琵琶湖の竹生島明神を勧請したものと言われている。神社は平潟湾に浮かぶ琵琶の形をした小さな島にあり、赤い橋が架かっているが、地続きのような感じである。道を挟んで向かいにある瀬戸神社は源頼朝が三嶋明神を勧請したものだそうである。 枇杷島神社 平潟湾とシーサイドライン ★
平潟湾は昭和初期から徐々に埋めてられ、まるで定規で図ったように真っすぐな海岸で、そこに南国風の椰子の木が植えられたプロムナードが作られている。釣り糸を垂らす老人、子供、家族連れなどが多く見られた。日差しが強くかなり暑い日であったが海風が心地よい。釣り人達に釣果を尋ねたりしながらのんびりと歩いてゆくと、やがて野島へ渡る夕照橋である。 ★ 野島は小さな島であるが、本土とは3本の橋でつながっていて島という感じはしない。夕照橋を渡ってすぐ右折し住宅街を5分ほど歩くと野島公園である。その一角にひっそりと野島稲荷神社がある。石段を30段ほど登った右手に本殿が建っている。東伏見稲荷と違って霊気が漂っているように感じられる。左手は崖になっていて、崖を穿って社が3つほどある。 野島稲荷神社 野島展望台から横浜方面を見る ★
野島稲荷神社の手前に階段がある。かなり急な階段を汗だくで登ると山頂はかなり広い平地になっており、春は桜がさぞや美しいだろうと思われた。海抜は64mあり、眼下には八景島、その向こうには横浜の市街やベイブリッジが見えている。展望台に登ると更に視界が広がり360度の眺め楽しめる。木陰のベンチに腰かけて昼食を取った。 戦後の発掘調査で野島には2つの貝塚があることが分かった。約8千年前の縄文時代のもので、動物の骨や縄文式土器が出土したという。 ★
下りは広い緩やかな坂道であった。坂を降り切った所に旧伊藤博文金沢別邸がある。これは初代の内閣総理大臣伊藤博文が明治31年に建てた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築である。建物の老朽化が著しかったので、復元工事を行うことになり2009年に完成した。 入口を入るとまず台所棟で、人造石研ぎ出し仕上げの竃と水屋のある調理場と小さな和室が2つある。その奥が客間棟で、12.5畳の帰帆の間と12畳の晴嵐の間、そして客用の厠がある。便器は大小とも木製の漆塗りである。帰帆の間と晴嵐の間を囲むようにL字型に広縁があり、ガラス戸越によく手入れされた庭と海が見える。海岸線に沿って石灯篭が並んでいる。天皇・皇太子をはじめ多くの皇族がこの客間棟で過ごしたと言われる。 客間棟の奥に2つの8畳間と浴室、便所などを備えた居間棟があり、伊藤が平素暮らした部屋である。 旧伊藤博文金沢別邸 伊藤博文別邸前にて ★野島橋を渡って本土に戻り、シーサイドライン(金沢八景・新杉田間を走るモノレール)に沿ってしばらく歩いて海の公園に入った。この公園は広さが47haあり、人工の砂浜は横浜唯一の海水浴場であり、松林の中の遊歩道、バーベキュー場、運動場、ビーチバレーのコートなどがある。この日は暑かったので海に入って泳ぐ子供もいたし、ウインドサーフィンを楽しむ人も多かった。 ★八景島駅からシーサイドラインに乗り、新杉田でJR根岸線に乗り換え、品川乗り換えで高田馬場には4時前に戻ってきた。新参加の3人の歓迎会を兼ねて
BIG BOX
内の居酒屋で飲んで6時過ぎに解散となった。 俳句サロンのメンバーから俳句の投稿をいただきました 鯊釣りの父子の一礼弁財天 滑志田流牧 琵琶島の福石囲み曼寿沙華 志賀 勉 釣り舟の人に手を振る鯊日和 松尾 良久 参加者 金児利行、小島恕雄、志賀勉、滑志田隆、浜野伸二、 比留間治男、松尾良久、水野聰、安井義彰夫妻、安村長生 以上11名 写真と文 小島 |