西東京稲門会・散策の会 例会報告 

2016年10月    よこやまの道 

 

105 )  くもり 時々 小雨

 

    この秋一番の寒い朝であった。今年は残暑が長かったが、この日を境に季節は晩夏から秋へと変わった。朝のうちは青空も見えていたが、次第に雲が広がり、午後には時折小雨がぱらつくという天気であった。

初参加の原田一彦氏を含め参加者は14名、3月の幸手権現堂の花見以来の大人数であった。

 

    西武線、多摩モノレール、小田急を乗り継いで唐木田駅に着いたのは10時過ぎであった。駅前の横断歩道を渡り、なだらかな坂を登り左折すると前方右手の丘の上に大妻女子大学が見えてきた。大学の社会情報学部、人間関係学部、比較文化学部の3学部の学生と中学高校一貫校の生徒が学んでいる。

 

    街路樹のハナミズキは既に色づいている。都心よりは一足早く季節が進んでいるようである。大妻女子大学の裏手を右に入ると石段が現れた。これが「よこやまの道」の唐木田口である。石段を登りきるといきなりでこぼこの山道となる。しかしすぐに元の舗装道路と合流する。よこやまの道は道路を横断した先につながっている。

 

  よこやまの道 唐木田口      よこやまの道

 

    道路を横断したところに道標と案内板が設置してあり、階段が始まる。階段を登りきるとややきつい登りとなるが、やがて見晴らしのよい場所に出る。ガスタンクの向こうに多摩ニュータウンの街並みが広がっている。

 

  よこやまの道の案内板     階段の登りとなる 多摩ニュータウン方面の眺望

    更に数十m進むと右手の展望が開け、町田の市街とその先に長く裾を引いた大山の端麗な姿を望むことができた。やがて道は下り坂となり、多摩清掃工場前の交差点で車道と合流した。そこから先はしばらく歩道を歩くことになった。左手の崖の上には多摩市の総合福祉センターと温水プールがあるが、下から見上げるとまるで中世の西洋の城壁のようである。右手は東京国際ゴルフ倶楽部である。

 

   よこやまの道 下り坂 福祉センターの壁 前方にプール       鎌倉古道

 

    よこやまの道は、多摩ニュータウンの南端に横たわる多摩丘陵の尾根道で、古代より武蔵野と西国を結ぶ交通の要衝として利用されてきた。この尾根道には鎌倉古道、奥州古道、古代東海道が交差し、多くは現在も利用されているが、廃道となっているものもある。

新田義貞が鎌倉に攻め上る時に幕府軍と戦った古戦場も近くにある。

よこやまの道のすぐ隣には尾根幹線道路が走っていて、住宅街が山の上まで広がっている。

 

    一本杉公園は芝生や池があり、せせらぎが流れる静かな公園である。旧有山家や旧加藤家など江戸時代に建てられた多摩の民家が復元されている。ちょうど昼時だったので、池のほとりの芝生で弁当を広げようと思ったが、小雨が降って来たので旧加藤家の縁側を借りて昼食を取った。

 

      旧加藤家の縁側で昼食        一本杉公園にて

 

    尾根幹線道路の下を潜って北側に抜けると、高校野球の予選を行う一本杉球場やテニスコートがあり、大きな石のモニュメントや天然記念物のスダジイの大木がある。

 

 

 

    鯉が泳ぐ池  大きな石のモニュメント   スダジイの大木

 

    一本杉橋を渡ってニュータウンの中の落合東遊歩道を北上。街路樹の茂った住宅街の中の、散歩には打ってつけの道である。落合第三公園の角を左折し、“そよかぜのみち”を通り、更に右折して住宅街の中をゆっくり下ってゆくとやがて旧富澤家住宅に着いた。江戸時代初期より地元の名主を務めた家で、18世紀の中頃に建てられたものだそうである。富澤家は新選組のスポンサーでもあったそうで、近藤勇や土方歳三などに関連する遺品などが展示されていた。

 

    旧富澤家住宅は多摩中央公園の一角にあって、中央公園を抜けるとギリシャ神殿のような8本柱のパーゴラがある。パーゴラの足元には80段の大階段があり、パルテノン大通りにつながっている。突き当りが小田急と京王の多摩センター駅である。

 

  旧富澤家住宅の冠木門   パーゴラ前の階段で    パルテノン大通り

 

 

 

俳句クラブのメンバーから俳句を頂きました

多摩貫く古道の丘を鳥渡る      良久

山紅葉坂東武者の駆けし道      勉

失へる道の紅葉や多摩の丘      流牧

 

参加者  金児利行、金子正男、梶原松子、小島恕雄、幸子、志賀勉、滑志田隆、野本瑩一、原田一彦、

比留間房子、松尾良久、水野聡、安村長生、臼井静江  以上14名

写真と文 小島

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